【前書き】

「日本の災害・防災年表」は、「周年災害」でご紹介した日本人が被災した災害や特異な災害、または政策・法令を変えた災害及び防災対策などを、次の7種・12表の災害分類にまとめています。

地震・津波・火山噴火編

気象災害(中世・江戸時代編)

気象災害(戦前・戦中編)

気象災害(戦後編)

広域汚染編

火災・戦災・爆発事故(中世編)

火災・戦災・爆発事故(江戸時代編)

火災・戦災・爆発事故(戦前・戦中編)

火災・戦災・爆発事故(戦後編)

感染症流行・飲食中毒・防疫・災害時医療編

人為事故・防犯・その他編

災異改元編 

 掲載基準は、原則として死亡者+行方不明者100人以上(海外での日本人死亡者10人以上)、死傷者、感染患者1000人以上、全壊・焼失・流失家屋(住家)1000棟(軒)または1000世帯(かまど、戸)以上、床上浸水家屋(住家)5000棟(軒)または5000世帯(かまど、戸)以上などの大災害を選び出して掲載。
 1. 災害・防災年表各編内の災害・防災対策をクリックすると掲載月の記事にリンク全文が読めます。
  2.本文中の年月日は太陽暦(グレゴリオ暦)かっこ内年月日は太陰暦=その時代の年号と暦日です。
   なお、太陽暦の使用開始は1872年(明治5年)12月3日からで、この日が明治6年1月1日です。
 3. 年号の適用は、明治改元の時に定められた「改元の年の1月1日にさかのぼり適用する」ことは   せず、改元の前日までは前年の元号です。
 4.災害名は混在しないよう通称または気象庁及び中央防災会議での公認名称のない場合は、火山噴火と火災の場合を除き、原則として元号(年)+被災地+災害名です。
 5.災害名は、表現の統一及び類似のものと年表上差別化が必要なため、年表上とリンク先の掲載当時の見出しの名称とが若干異なることがあります。

■「地震・津波・火山噴火編」

 当年表は2005年4月~2021年、2022年3月の「周年災害」及び「周年災害・追補版」の掲載記事より作成されています。
 災害名等にポインターを当てクリックすると掲載ページ(各月)にリンクし、全文が読めます。

○古代から安土・桃山時代まで(~1600年)

わが国歴史書、最初の地震記録 ……… 416年8月23日(允恭5年7月14日)

被害記録のある最古の地震、大和で起きた大地震 ……… 599年5月28日(推古7年4月27日)

天武筑紫地震、地震による地すべりで家屋が損傷無く下へ移動、夜が明け家人驚く
 ……… 679年1月(天武7年12月)

白鳳地震、記録に残る最古の南海地震-伊豆大島の噴火を誘発?
……… 684年11月29日(天武13年10月14日)

大宝令完成し公布、天皇中心の中央集権国家体制が法的に整備される
……… 700年4月18日(文武4年3月21日)

大宝律完成、わが国初の刑法典なる ……… 701年9月13日(大宝元年8月3日)

天平6年畿内七道地震-聖武天皇仏教に帰依 ……… 734年5月18日(天平6年4月7日)

天平17年美濃国地震 ……… 745年6月5日(天平17年4月27日)

桜島天平宝宇8年の噴火、南東部に大溶岩流流下
……… 765年1月~766年(天平宝宇8年12月~天平神護2年)

文献上最古の富士山噴火 ……… 781年8月4日(天応元年7月6日)

富士山延暦の噴火、足柄道が噴石のためにふさがり新たに箱根道開通
 ……… 800年4月15日~5月19日(延暦19年3月14日~4月1日)

弘仁9年関東地震、朝廷では被災地の租税を免じる ……… 818年8月(弘仁9年7月)

朝廷、度重なる災害による社会不安を一層するため独経祈願行う、崇神天皇治世伝説が起源か
 ……… 856年6月18日(斉衡3年5月9日)

富士山貞観の噴火-精進湖、西湖、青木ヶ原樹海出現 ……… 864年7月6日(貞観6年5月25日)

貞観10年播磨地震、京都でも家屋に被害 ……… 868年8月3日(貞観10年7月8日)

貞観三陸地震。マグニチュード8の巨大地震、1140年余後の東北地方太平洋沖地震は再来か、
 人々を救った“末の松山”が後に説話や詩歌の世界へ
 ……… 869年7月13日(貞観11年5月26日)

元慶2年相模、武蔵地震「元慶地震」 ……… 878年11月1日(元慶2年9月29日)

仁和南海地震。南海トラフ沿いに起きた東海、南海連動地震か?
 翌年せき止め湖崩壊し千曲川大氾らん
……… 887年8月26日(仁和3年7月30日)

仁和南海地震で千曲川に発生した天然ダム(せき止め湖)崩壊し大はん濫「仁和の洪水」
 近年解明された巨大地震を一次原因とする巨大な洪水 ……… 888年6月24日(仁和4年5月8日)

太政官、盗賊横行に対し京都市中の辻々に“道守屋”設置命じる-交番の発祥
 ……… 925年6月28日(延長3年5月30日)

承平から天慶へ改元、地震と平将門の乱による ……… 938年6月27日(承平8年5月22日)

天延から貞元へ改元、内裏の火災と地震による ……… 976年8月16日(天延4年7月13日)

嘉保(永長)地震(東海、東南海連動地震)起きる。2年後の承徳(康和)地震の南海地震説に疑問が
 ……… 1096年12月17日(嘉保3年11月24日)

嘉保から永長へ改元、東海、東南海連動の永長地震起きる
……… 1097年1月9日(嘉保3年12月17日)

承徳地震は南海トラフ沿い地震か。土佐国での被害の記録をめぐり再検討される
 ……… 1099年2月22日(承徳3年1月24日)

承徳から康和へとまた改元、平安朝末期の混乱に巨大地震からむ
……… 1099年9月21日(承徳3年8月28日)

浅間山天仁噴火、北関東の田畑埋まり農作物潰滅 ……… 1108年9月5日(嘉祥3年7月21日)

天仁から天永に改元、天下静かならざるによる ……… 1110年8月7日(天仁3年7月13日)

元暦2年京都大地震ー琵琶湖西岸断層地震再来の場合、滋賀県、京都府が被害想定
 ……… 1185年8月13日(元暦2年7月9日)

元暦から文治に改元。大地震起こり、平家滅亡、朝廷兵革後の“文治”による統治理念示す
 ……… 1185年9月16日(元暦2年8月14日)

建暦から建保へ改元、関東地方の災害に朝廷が気を効かして改元?
……… 1214年1月25日(建暦3年12月6日)

幕府、京都市中治安維持のため篝屋(かがりや)設置-現在の交番へと続く
 ……… 1238年8月7日(嘉禎4年6月19日)

延応から仁治へ改元、鎌倉で異変続く ……… 1240年8月12日(延応2年7月16日)

幕府、鎌倉市中にも防犯のため篝屋(かがりや)を設置し住民に勤務させる
……… 1241年1月11日(仁治元年11月21日)

正嘉元年鎌倉地震、神社仏閣すべて損潰し液状化現象も起こる
……… 1257年10月9日(正嘉元年8月23日

正嘉から正元へ改元、大飢饉と大地震による-改元頻度が多い鎌倉時代
 ……… 1259年4月27日(正嘉3年3月26日)

正応6年鎌倉地震 ……… 1293年5月27日(正応6年4月13日)

正応から永仁へ改元、正応鎌倉地震に不吉な影をみた ……… 1293年9月13日(正応6年8月5日)

正和から文保へ改元、京都で地震、余震8か月続く ……… 1317年3月24日(正和6年2月3日)

正中2年近江北部地震、尚江(なおえ)千軒の大半が地すべりで水没、水没したのは“神立集落”か?
 湖底から遺跡みつかる ……… 1325年12月5日(正中2年11月27日)

正中から嘉暦へ改元、近江北部地震とインフルエンザ流行による
……… 1326年6月5日(正中3年4月26日)

延文から康安へ改元、動乱の終結願う、大地震、感染症の流行による
 ……… 1361年5月12日(延文6年3月29日)

康安(正平)大地震、南海トラフ沿いの巨大地震、阿波、難波浦に大津波起こす
 ……… 1361年8月3日(康安元年6月24日)

康安から貞治に改元、兵革、疫疾、天変、地震による
……… 1362年10月19日(康安2年9月23日)

那須岳応永15年の噴火、水蒸気爆発に始まり2年後の惨事へ
 ……… 1408年2月24日~1410年3月5日(応永15年1月18日~17年1月21日)

那須岳応永17年の噴火、2年前の水蒸気爆発に始まりマグマ噴火へ、180余の人名が犠牲に
 ……… 1410年3月5日(応永17年1月21日)

文安から宝徳へ改元、洪水、地震、疫病による ……… 1449年8月25日(文安6年7月28日)

桜島文明3年~8年の噴火「文明大噴火」
 ……… 1471年11月3日~1476年10月8日(文明3年9月12日~文明8年9月12日)

明応地震。東海・東南海連動大地震か、浜名湖が遠州灘とつながった、36mの大津波も
 ……… 1498年9月20日(明応7年8月25日)

文亀元年越後南西部地震「宗祇終焉記」にしか詳細に記録されていない直下型地震
 ……… 1502年1月28日(文亀元年12月10日)

永正9年徳島県南部謎の「永正津波」は海底地すべり津波と推定
……… 1512年9月23日(永正9年8月4日)

霧島山永禄9年の噴火、最古の死傷記録 ……… 1566年10月31日(永禄9年9月9日)

天正地震。帰雲城埋没、各地の城、城下の家屋も倒壊・焼失、木曽川の河道にも変化が、
 琵琶湖湖畔北東部、長浜城下の西浜、下浜坂千軒も水没
 ……… 1586年1月18日(天正13年11月29日)

慶長伊予地震、豊後地震と連動、中央構造線に沿った一連の大地震のはじめ
 ……… 1596年9月1日(文禄5年閏7月9日)

慶長豊後(ぶんご)地震、大津波で府内、瓜生島壊滅 ……… 1596年9月4日(文禄5年閏7月12日)

慶長伏見地震、秀吉の地震対策指示及ばず伏見城倒壊。歌舞伎狂言・地震加藤のテーマに
 ……… 1596年9月5日(文禄5年閏7月13日)

文禄から慶長へ改元、慶長伊予、豊後、伏見地震による。覚めたい秀吉の悪夢
 ……… 1596年12月16日(文禄5年10月27日)

○江戸時代(1600年~1867年)

幕府、柴田康長を史上初、首都政庁の火之番組頭に任命。
 家康征夷大将軍になり、首都政治の拠点江戸城大改築の指示を背景に
 ……… 1605年1月(慶長9年12月)

慶長地震、南海、東南海連動地震、南海トラフ“津波地震”の典型
……… 1605年2月3日(慶長9年12月16日)

慶長16年会津地震 ……… 1611年9月27日(慶長16年8月21日)

慶長16年三陸地震津波 ……… 1611年12月2日(慶長16年10月28日)

江戸城大奥男子禁制となり、奥女中による御火之番組編成される
-家光治世時、大奥の失火で本丸殿舎焼け奥火之番組編成され、防火体制強化
……… 1618年1月27日(元和4年1月1日)

京都、豊臣家残党?による放火で大火相次ぐ-町掟で消防ルールつくる
 ……… 1620年4月2日、6日(元和6年2月30日、3月4日)

幕府、江戸武家屋敷街に辻番所設置、辻斬り対策で挙動不審者を逮捕させる
……… 1629年5月(寛永6年3月)

幕府、町木戸設置させ辻番所と後の自身番屋と共に治安強化はかる、平安時代“釘貫門”が発祥か
 ……… 1629年5月(寛永6年3月)

諸大名帰国に際し、在府大名たちに火の番仰せつける、奉書火消の文献初出、治安強化策の一環か
 ……… 1629年7月5日(寛永6年5月15日)

幕府、大番、書院番、小姓組番の番衆に初の夜間市中巡回仰せつけ、市中警備(防火)体制を整備
 のちに昼間も巡回し、その職務は火災後の対応から江戸城の防火役まで次々と拡大
 ……… 1629年11月29日(寛永6年10月7日)

寛永10年小田原地震 ……… 1633年3月1日(寛永10年1月21日)

大坂で幕府公認町火消4組が全国初の誕生、将軍家光、三郷の惣年寄に纏を持つことを許す
 ……… 1634年4月(寛永11年3月)

幕府、本丸殿舎全焼を受け、奥方火之番を任命し表火之番と分ける、大奥防火体制強化
 ……… 1639年11月2日(寛永16年10月7日)

幕府、奉書火消を専任化し初めて組織的な消火体制に、ただし町方対策は10年後
 ……… 1639年11月10日(寛永16年10月15日)

幕府、本丸殿舎炎上を機に“所々火消”を初めて任命、まず江戸城内将軍家霊廟守る。
 次いで城内を始め武家屋敷、幕府主要施設の防・消火体制を強化
 ……… 1640年1月7日(寛永16年閏11月14日)

米沢寛永17年の大火、1か月の間に10か所から出火-藩士に火事の際の役割分担させる
 ……… 1640年4月14日(寛永17年2月23日)

北海道駒ヶ岳寛永大噴火-内浦湾に大津波、700人余が犠牲に
 ……… 1640年7月31日~8月下旬(寛永17年6月13日~7月初旬)

江戸城、本丸に次いで二の丸火之番置かれる。江戸城防火管理体制、内外郭とも厳重強化へ
  ……… 1643年10月19日(寛永20年9月7日)

幕府、初の組織的な火消制度“大名火消”創設 ……… 1643年11月8日(寛永20年9月27日)

幕府、辻番所を江戸市中と近郊の武家地に増設させる ……… 1645年9月24日(正保2年8月5日)

幕府、大名火消の初期消火、江戸城内の防火、消火要項定める
……… 1646年4月29日(正保3年3月14日)

将軍日光社参に際し、町人たちに町の防火・警備について初のお触れ、大名火消も強化
 ……… 1648年6月1日(慶安元年4月10日)

大坂町奉行所、自身番当番免除及び代理を出す人々を指示、代行の風潮に歯止め期待、
 江戸より早い自身番の記録 ……… 1649年1月28日(慶安元年12月16日)

江戸町奉行、火災シーズンを前に、町方に一連の「警火の町触」出す、後の定式町触の基本
 ……… 1649年2月2日(慶安元年12月21日)

江戸町奉行、将軍世子(世継)家綱日光社参に際し、治安強化策として中番を置く。
 後に季節的防火要員として制度化 ……… 1649年5月21日(慶安2年4月10日)

慶安2年武蔵、下野地震-江戸で避難路拡大のため往来での商売禁ず
……… 1649年7月29日(慶安2年6月20日)

江戸町奉行、町中の橋の上、橋のたもと、街角での商売を禁じる
……… 1649年8月19日(慶安2年7月12日)

幕府、慶安2年川崎地震を受け江戸城「地震警備の制」定め強化図る
……… 1649年9月3日(慶安2年7月27日

江戸町奉行、市中町方の夜番(火の番見廻り)に対する管理を強め防災体制強化
 -後に増番、中番、屋根番、火の見やぐら番へと火の番役を増やす
 ……… 1649年11月20日(慶安2年10月16日)

幕府“増火消”を6大名家に初めて命じる、風激しく大火のおそれあるとき増援
 ……… 1650年5月7日(慶安3年4月7日)

江戸町奉行、家持町人に自身番所設置を命じる、後の町火消制度の原動力に。
 4年半ほど前に家持町人に最初の自身番役すでに指示 ……… 1652年1月11日(慶安4年12月1日)

江戸町奉行、玉川上水完成を受け、消防水利強化のため井戸の掘削指示
 ……… 1655年4月26日(承応4年3月20日)

幕府、方角火消を初めて任命-江戸城延焼防止に専念「防ぎ大名」の異名
 ……… 1657年3月22日(明暦3年2月8日)

江戸町奉行、町の治安維持強化のお触れ、自身番への治安分担多く町人の負担増える
 ……… 1658年8月8日(明暦4年7月10日)

幕府、両国橋架橋計画決定。明暦の大火後の江戸復興政策の一環として
 ……… 1658年8月14日(明暦4年7月16日)

江戸京橋で自衛消防組織“民営町火消組(店火消)”誕生、厳しい規律のもと初期消火担う(360年前)
 ……… 1658年9月4日(万治元年8月7日)

幕府、江戸の街を守る常設火消“定火消”を新設-明治維新後消防署へ
 ……… 1658年10月4日(万治元年9月8日)

幕府、旗本・御家人に防火の心得布令。江戸の防火に武家も総出、不審者に対する捕縛も、
 後に同心たちに逮捕権を与えた夜廻り専任化、更に火付盗賊改役設置へ
 ……… 1658年11月22日(万治元年10月27日)

町内に町奉行与力指揮下の官製・町火消(店火消)“火消組”編成へ-ほとんどの町人は無視
 ……… 1658年11月23日(万治元年10月28日

定火消、初の出初式挙行、江戸っ子を前にお披露目、復興への意欲高める
 ……… 1659年2月25日(万治2年1月4日)

江戸城茶坊主衆に防火の定め事細かく規定 ……… 1659年10月20日(万治2年9月5日)

幕府、頻発する火災についに腰を上げ、初の町家防火対策を示達-かき殻葺き屋根が広く普及
 ……… 1660年4月3日(万治3年2月23日)

江戸町奉行、町方の防火体制強化指示、官製・店火消姿なく町人自身の自衛消火(駆付火消)指示
 ……… 1661年11月9日~12月11日(寛文元年9月18日~10月20日)

1662寛文近江・若狭地震。若狭湾沿岸と琵琶湖西岸地震が連動した双子地震、
 琵琶湖岸三ツ矢千軒沈む
……… 1662年6月16日(寛文2年5月1日)

寛文2年日向灘地震「外所(とんところ)地震」 ……… 1662年10月31日(寛文2年9月20日)

幕府、諸同心に防火の心得を指示、非番の時でも火事に注意し放火犯を捕らえよ
 ……… 1663年1月11日(寛文2年12月2日)

幕府、辻番所制規を示達 ……… 1663年4月(寛文3年3月)

幕府、火付盗賊改役を設ける ……… 1665年11月(寛文5年10月)

寛文5年越後西部地震、高田城内・城下壊滅、積雪で被害が拡大
……… 1666年2月1日(寛文5年12月27日)

延宝房総沖地震津波。過去、関東地方で最大規模の地震か

……… 1677年11月4日(延宝5年10月9日)

各自火消・加賀鳶(かがとび)公式に誕生、国元での成果を江戸藩邸で活かす
 ……… 1681年3月2日(延宝9年1月12日)

幕府、在府諸藩の各自火消を制度化、藩邸と周辺の消火に専念
……… 1682年11月29日(天和2年11月1日)

幕府、辻番規定を改定し衛生管理も職務に-明治時代警察の防疫活動へ継承
 ……… 1683年3月27日(天和3年2月29日)

幕府、京都火消(大名火消)置く-その後幾多の変遷を重ね京都の街を守る
 ……… 1691年10月21日(元禄4年9月1日)

江戸町奉行、町名主に防火用水設備の点検実施指示、現在も生きている御指示の主旨

……… 1692年2月4日(元禄4年12月18日)

元禄7年出羽北部津軽地震-野代が能代に改名した契機の大震災
……… 1694年6月19日(元禄7年5月27日)

陸前石巻、高波で河口港に停泊中の船が流され船頭水主多数死亡、地震津波か
 ……… 1696年11月25日(元禄9年11月1日)

幕府、火事場目付を任命、定火消などの消火活動を監察。使番の約割について
 ……… 1698年10月21日(元禄11年9月18日)

江戸城内の防火細則決まり相触れ、具体的な規定で防火を徹底させる
……… 1702年12月(元禄15年11月)

元禄地震 ……… 1703年12月31日(元禄16年11月23日)

元禄から宝永へ改元。元禄地震による ……… 1704年4月16日(元禄17年3月13日)

宝永元年能代地震-野代から能代に改名 ……… 1704年5月27日(宝永元年4月24日)

宝永地震、最大級の東海~南海連動超巨大地震-富士山宝永大噴火誘発か
 ……… 1707年10月28日(宝永4年10月4日)

1707富士山宝永噴火、超巨大地震宝永地震が誘発か。いまも噴火の危険は迫ってくる
 ……… 1707年12月16日~08年1月1日(宝永4年11月23日~12月9日)

富士山宝永噴火二次災害、酒匂川河床火山灰で上がり足柄平野大洪水
 ……… 1708年8月7日~8日(宝永5年6月21日~22日)

幕府、京都火消を京都常火消として復活し、町人地、寺町の消火を担当。
 一方、譜代大名による禁裏御所方火消も新たに編成し京都の消防体制いっそう強化
 ……… 1709年4月(宝永6年3月)

宝永7年伯耆・美作地震。民家倒潰1000余……… 1710年10月3日(宝永7年閏8月11日)

霧島山「享保の噴火」第3期噴火で最大の被害 ……… 1716年11月9日(享保元年9月26日)

江戸町奉行、防火方法について町名主に諮問しこの日答申、答申を受け町民の自衛防火能力を確認
 -町火消組合編成なる ……… 1718年10月22日(享保3年9月30日)

江戸町奉行、町火消組合編成を命じる、町人自身による消火活動で江戸を守る体制へ
 ……… 1718年11月10日(享保3年10月18日)

江戸町奉行、瓦葺土蔵造、塗家造を許可し防火対策進めるが消火方法が破壊消防のため普及せず
 ……… 1720年5月26日(享保5年4月20日)

江戸町奉行、町火消を“いろは48組”に再編成、奉行所に町火消人足改役設置
……… 1720年9月9日(享保5年8月7日)

江戸町奉行、いったんは商売を禁止した髪結床に自主防災の橋火消を命じる
 ……… 1722年4月21日(享保7年3月6日)

幕府、火事場見廻役を置く、大名火消、各自火消の指揮と調整役
……… 1722年5月25日(享保7年4月11日)

江戸町奉行、江戸中心地の町家の屋根や家屋の防火構造化命じる-4年後には税金も免除、
 しかしそこまでしても進捗せず、150年後の京橋の火災で約7割が板葺きとわかる
 ……… 1723年7月8日(享保8年6月7日)

江戸町奉行、火事場建具改役を置き、避難路、消火隊進入路の確保、延焼防止を役目に
 ……… 1725年4月(享保10年3月)

幕府、一般庶民向けの家庭用救急医療書を出版、無医村対策の面も
……… 1730年4月3日(享保15年2月16日)

江戸城二の丸殿舎火災、町火消はじめて城内での消火活動に従事
……… 1747年5月24日(延享4年4月16日)

桜島、安永8年の大噴火。山上の噴火から海底噴火へと続き5つの火山島を形成
……… 1779年11月8日~9日(安永8年10月1日~2日)

天明相模(小田原)地震、小田原城下約3分の1破壊される
……… 1782年8月23日(天明2年7月15日)

天明3年浅間山大噴火 ……… 1783年8月5日(天明3年7月8日)

享保8年関東暴風雨、五十里せき止め湖崩壊で大洪水「五十里洪水」
 ……… 1785年4月18日~6月4日(天明5年3月10日~4月27日)

松平定信、寛政の改革で町火消の費用削減を指示、火消人足たちの不評を買い改革挫折の一因に
 ……… 1791年5月11日(寛政3年4月15日)

雲仙普賢岳噴火「島原大変」始まる、3か月後「肥後迷惑」へ
……… 1792年2月10日(寛政4年1月18日)

寛政の改革で定火消の担当区域を拡大、町火消の管轄内進入で消し口争いの危険
 ……… 1792年2月15日(寛政4年1月23日)

四月朔地震で眉山大崩壊、対岸肥後藩領等にも大津波「島原大変、肥後迷惑」
 ……… 1792年5月21日(寛政4年4月1日)

寛政5年三陸地震津波 ……… 1793年2月17日(寛政5年1月7日)

寛政11年加賀地震、7600軒余が全、半壊 ……… 1799年6月29日(寛政11年5月26日)

享和2年佐渡地震 ……… 1802年12月9日(享和2年11月15日)

文化元年象潟(きさがた)地震、名勝象潟湖消滅 ……… 1804年7月10日(文化元年6月4日)

文化7年羽後地震(男鹿大地震)、男鹿半島鳴動し寒風山崩れる
……… 1810年9月25日(文化7年8月27日)

文政2年近江・美濃・伊勢地方地震。琵琶湖周辺と木曽川下流域で被害大きく
……… 1819年8月2日(文政2年6月12日)

有珠山文政5年の噴火、大火砕流と熱煙が山麓の役所や牧場、集落を襲った。
 噴火史上最大の犠牲者を出す ……… 1822年3月9日~23日(文政5年閏1月16日~2月1日)

文政11年越後三条地震、家屋全壊1万3000余、1600余人死亡
……… 1828年12月18日(文政11年11月12日)

文政京都地震、突然の縦揺れが襲い被害が拡大 ……… 1830年8月19日(文政13年7月2日)

文政から天保へ改元、己丑の大火と文政京都地震による
……… 1831年1月23日(文政13年1月10日)

1833年庄内沖地震、隠岐島から蝦夷地福山まで広範囲に津波被害
……… 1833年12月7日(天保4年10月26日)

北海道恵山弘化3年の噴火 ……… 1846年11月18日(弘化3年9月30日)

弘化4年善光寺地震、せき止め湖の出現に松代(真田)藩危機管理を実施
 ……… 1847年5月8日(弘化4年3月24日)

嘉永6年小田原地震 ……… 1853年3月11日(嘉永6年2月2日)

嘉永7年伊賀上野地震、1300人余死亡、家屋・土蔵・寺院全半壊1万9000余
 ……… 1854年7月9日(嘉永7年6月15日)

安政東海地震-難破したロシア艦に替わり、戸田(へだ)で幕末初の西洋式帆船を建造
 ……… 1854年12月23日(嘉永7年11月4日)

安政南海地震、名作「稲むらの火」の原点となった逸話を生む
……… 1854年12月24日(嘉永7年11月5日)

嘉永から安政へ改元、黒船来航、内裏炎上、大地震と災異多く
……… 1855年1月15日(嘉永7年11月27日)

1855安政江戸地震。軟弱な地盤が被害を大きくした ……… 1855年11月11日(安政2年10月2日)

飛越地震、立山鳶(とんび)崩れ-48年後、常願寺川で日本初の砂防工事着手
 ……… 1858年4月9日、23日、6月7日(安政5年2月26日、3月10日、4月26日)

○明治時代から太平洋戦争終戦まで(1868年~1945年)

明治新政府、旧幕府定火消を解体し火災防御隊編成-のち消防署に発展
 ……… 1868年7月8日(慶応4年5月19日)

東京府、西洋のポリス制度を参考に邏卒(らそつ:警察官)制度採用、取締所(警察署)設置
……… 1872年1月3日(明治4年11月23日)

政府、窮民一時救助規則制定、拡充される被災者救助制度
……… 1872年1月7日(明治4年11月27日)

明治5年浜田地震、奇勝石見畳ヶ浦出現 ……… 1872年3月14日(明治5年2月6日)

・内務省、東京警視庁創設次いで消防章程を制定、
かつて町火消の消防組員ようやく落ち着いて活動へ ……… 1874年(明治7年)1月9日~28日

警視庁、電信を初めて架設し緊急連絡に活用 ……… 1874年(明治7年)8月7日

医制発布され近代的医事衛生制度発足、初の法定伝染病(感染症)の指定と届出,予防法の公的指示
 ……… 1874年(明治7年)8月18日

東京気象台観測開始-天気図作成、天気予報の開始から台風調査報告書も
……… 1875年(明治8年)6月1日

三原山噴火活動開始、ミルンなど日本初の科学的調査活動行う ……… 1877年(明治10年)1月

内務省東京警視本署、出火消防現場心得を制定、組織的な消防活動へ
……… 1877年(明治10年)2月9日

日本地震学会、横浜地震を契機に誕生、近代地震学の父ミルンの功績
……… 1880年(明治13年)4月26日

内務省警視局に消防本部創設され公設(常備)消防組織誕生-70年の歴史を経て自治体消防へ転換
 ……… 1880年(明治13年)6月1日

備荒儲畜(びこうちょちく)法制定、国の指示による共助の被災者援助政策
……… 1880年(明治13年)6月15日

消防本署に輸入の第1号蒸気ポンプ、年末には同分署に国産腕用ポンプを配置し龍吐水廃止される
 ……… 1884年(明治17年)6月30日

消防本署、消防水防規則制定、東京府内に消防組員6消防分署40組2000人、
 水防組員5組150人が配置される
ー消防組は10年後、全国統一の消防組規則に組み込まれる
……… 1884年(明治17年)6月30日

東京市内に消防井戸の設置始まる、協力井戸調査も ……… 1884年(明治17年)7月13日

関谷清景、地震報告心得で初めて地震震度を示す ……… 1884年(明治17年)11月

政府、赤十字条約に調印、博愛社は社名を日本赤十字社に改称し国際赤十字へ加盟
 ……… 1886年(明治19年)6月5日

警視庁、消防機関士等の居住を制限し災害時の初動態勢確保-増える消防用蒸気ポンプ
 ……… 1887年(明治20年)4月26日

日本初の火災保険会社東京火災創立認可おりる、損保ジャパン日本興亜の前身
 ……… 1887年(明治20年)7月23日

気象台測候所条例公布ー国、道府県、私立測候所混在でスタート
……… 1887年(明治20年)8月8日

横浜に近代水道完成し消火栓初めて設置 ……… 1887年(明治20年)10月17日

警視庁、消防力強化の一環で消防署間電話を初めて設置。
 後に世界初の緊急専用電話番号119番の時代へ“ウサギとカメの物語”
……… 1887年(明治20年)12月12日

1888磐梯山噴火-日赤で世界初の平時救護活動と民間から初めての災害救援活動
 ……… 1888年(明治21年)7月15日

明治22年熊本地震-日本最初の余震観測。遠隔地での地震観測の端緒
……… 1889年(明治22年)7月28日

火災調査に関する規定、制定される ……… 1890年(明治23年)1月31日

1891濃尾地震“地震に遭えば身の終わり(美濃・尾張)”-震災予防調査会発足へ
 ……… 1891年(明治24年)10月28日

警視庁、警察署と消防署へ非常報知機設置し通信機能整備 ……… 1891年(明治24年)12月28日

菊池大麓の発議により震災予防調査会設立 ……… 1892年(明治25年)6月27日

内務省、消防組規則を制定し全国的統一を図り、府県知事管轄下、警察の指揮下に置く
 ……… 1894年(明治27年)2月9日

明治27年東京地震、東京湾沿岸の低地に被害集中、煙突の倒壊多く「煙突地震」の異名が
 ……… 1894年(明治27年)6月20日

明治27年庄内地震、酒田大火-震災予防調査会詳細な現地調査により木造建築物改良仕様書発表
……… 1894年(明治27年)10月22日

東京警視庁、救助袋を各消防署に配置、消防用避難器具配置の始まり
……… 1894年(明治27年)10月

明治三陸地震津波、震度2~3程度の揺れで気づかず大津波不意打ち-田老地区の教訓
 ……… 1896年(明治29年)6月15日

明治29年陸羽地震「六郷大地震」 ……… 1896年(明治29年)8月31日

東京市、市内の水道改良と消火栓設置工事大部分完成 ……… 1898年(明治31年)11月

市原喞筒(そくとう)製作所、蒸気式消防ポンプ国産化に成功、蒸気動力時代の先駆。
 時代は“破壊消防”の時代から“放水消防”の時代へ ……… 1899年(明治32年)1月

伊豆鳥島明治35年噴火、島民全滅する ……… 1902年(明治35年)8月上旬

東京商業興信所火災で救助はしご車初登場 ……… 1903年(明治36年)12月10日

警視庁、巡査教習所を警察消防練習所と改称、選抜消防職員の教育訓練開始、
 あわせ現役職員及び新人織員、組員の教育訓練も規定化、但し現役消防組員は対象外
……… 1906年(明治39年)4月17日

明治42年姉川(江濃)地震、琵琶湖湖底沈下、木曽三川沿岸部で液状化。
 文久2年の地震より北に約20kmの地下深くで ……… 1909年(明治42年)8月14日

婦人火防組(現・消防団)初めて結成される。山形県飛島村で、越前市と沼津市の事例
 ……… 1910年(明治43年)4月

森田正作、日本初のガソリンエンジン付消防ポンプの創作に成功、わが国消防の歴史を拓く
 ……… 1910年(明治43年)5月

明治有珠山噴火-室蘭警察署長独自判断の住民避難命令成功
……… 1910年(明治43年)7月19日~9月

1914桜島大正噴火、桜島と大隅半島が陸続きに ……… 1914年(大正3年)1月12日~13日

大正3年秋田仙北地震 ……… 1914年(大正3年)3月15日

北アルプス焼岳大正4年の噴火、大正池誕生 ……… 1915年(大正4年)6月6日

佐野利器(としかた)、世界で初めて“震度”概念に基づく耐震設計法を提案
-改正市街地建築物法に採用 ……… 1916年(大正5年)10月1日

電話での火災報知“119番”開始、火災報知用専用電話始まる ……… 1917年(大正6年)4月1日

東京報知機(現・ホーチキ)株式会社設立-国産公衆用火災盗難報知機製造へ
……… 1918年(大正7年)4月2日

初の近代的な都市計画法、市街地建築物法公布-関東大震災後、世界初耐震規定を明記
 ……… 1919年(大正8年)4月5日

特設消防署規定公布、4大都市に次いで戦時下の最重要都市に官設常備消防を設置
 ……… 1919年(大正8年)7月16日

警視庁消防部、携帯用消防電話を開発設置し、現場の消防隊から直接に応援出場要請可能に
 -消防無線に受け継がれた発想……… 1919年(大正8年)12月4日

東京報知機が国産初の公衆用火災(盗難)報知機設置 ……… 1920年(大正9年)4月16日

1923関東地震「関東大震災」、治安機関によるテロ起こる ……… 1923年(大正12年)9月1日

東京帝大セツルメント、関東大震災の救援活動の中から誕生 ……… 1924年(大正13年)6月10日

警視庁、消防自動車取扱規程を制定、機械器具管理規定の始め ……… 1925年(大正14年)3月2日

大正14年北但馬地震 ……… 1925年(大正14年)5月24日

東京帝国大学地震研究所設立-震災予防調査会は廃止、震災予防評議会から震災予防協会へ
 ……… 1925年(大正14年)11月13日

警視庁消防部、電話自動交換システム導入で世界初、火災通報専用番号採用、
 但し誤接続発生
-119番採用へ ………1926年(大正15年)1月20日

1926十勝岳噴火、積雪期のため「大正泥流」発生大被害に ……… 1926年(大正15年)5月24日

昭和2年北丹後地震-東大地震研究所誕生後初の大地震で調査に活躍
……… 1927年(昭和2年)3月7日

東京で消防緊急通報ナンバー“119番”誕生、横浜市でも同年に誕生
……… 1927年(昭和2年)10月1日

生活保護法の前身、救護法公布 ……… 1929年(昭和4年)4月2日

昭和4年北海道駒ヶ岳噴火、20世紀国内での最大級の大噴火 ……… 1929年(昭和4年)6月17日

初の総合防災訓練「非常時火災警防演習」実施、市民による初期消火組織の充実が緊急課題に
 ……… 1930年(昭和5年)9月1日

北伊豆地震、丹那トンネル工事中の激震、伊豆半島北部から中部にかけて被害集中
 ……… 1930年(昭和5年)11月26日

日本赤十字社大阪支部、国内初救急自動車運用による国際的な救急搬送システム実施
 ……… 1932年(昭和7年)3月1日

東京市連合防護団が結団され防空消防の時代へ ……… 1932年(昭和7年)9月1日

1933年昭和三陸地震津波 ……… 1933年(昭和8年)3月3日

神奈川県警察部、横浜市に消防機関初の救急自動車配置 ……… 1933年(昭和8年)3月13日

神田消防署後援会、警視庁消防部へ救助車、救助用具一式を寄贈-専任救助隊設置へ
 ……… 1933年(昭和8年)6月10日

水槽付きポンプ車、高輪消防署に初お目見え ……… 1933年(昭和8年)12月29日

台湾、新竹-台中地震 ……… 1935年(昭和10年)4月21日

警視庁消防部、民間の寄付を得てようやく救急業務開始、救急要請電話番号も119番、
 交通事故、工場災害の急増に対応 ……… 1936年(昭和11年)1月20日

内務省、白木屋火災を教訓に警視庁規則を継承し特殊建築物(百貨店等)規則を制定
 今日の防火・避難対策の基本できる ……… 1936年(昭和11年)10月1日

警防団発足、防護団、消防組と統一した住民による自衛防空・防火組織。
 滅私奉公の教えの下、住民を戦争への協力指導、劣悪な装備で空襲に立ち向かい殉職者多数出す
 ……… 1939年(昭和14年)1月25日

気象研究所の前身、中央気象台研究課発足、戦争遂行のための気象研究を進める
……… 1942年(昭和17年)1月6日

昭和18年鳥取地震、報道規制で被害状況わからず ……… 1943年(昭和18年)9月10日

昭和東南海地震、報道管制で隠された地震災害、残された断層破壊空白域の存在が東海地震説生む
 ……… 1944年(昭和19年)12月7日

1945年三河地震、昭和東南海地震に誘発され起こる、新聞で地震の被害より防空、強調される
 ……… 1945年(昭和20年)1月13日

○太平洋戦争終戦から10年前まで(1945年~)

有珠山噴火し昭和新山誕生、世界を驚嘆させた三松正夫による観測と新山保護活動
 ……… 1945年(昭和20年)9月20日

昭和南海地震(南海道地震)、2年前の昭和東南海地震と連動 ……… 1946年(昭和21年)12月21日

消防団令公布、警防団を廃止し消防団を復活-消防団のおかれた現状、東日本大震災で
 ……… 1947年(昭和22年)5月1日

災害救助法制定、救助活動の全般的規定設ける ……… 1947年(昭和22年)10月16日

海難審判法公布、新憲法に基づき海員の基本的人権を踏まえた法律に改正
……… 1947年(昭和22年)11月29日

警察法公布、内務省解体され市町村自治体警察誕生-ただし僅か7年後、新法に代わり消滅、
 警察庁の登場で内務省警保局再生 ……… 1947年(昭和22年)12月17日

消防組織法制定され自治体消防発足-施行の日が消防記念日に
……… 1947年(昭和22年)12月23日

海上保安庁発足-初の庁旗掲揚の日を“海上保安の日”に ……… 1948年(昭和23年)5月1日

1948年福井地震-震度7規定、建築基準法、地方公安条例を新たに制定
……… 1948年(昭和23年)6月28日

消防法制定、消防が火災予防に強力な権限と任務もつ ……… 1948年(昭和23年)7月24日

八大都市の警察で警察通報用電話(110番)スタート、ただし最初は番号がバラバラ
 ……… 1948年(昭和23年)10月1日

東京消防庁、通信指令室設置、緊急通報受付と出動指令を本署で一本化
……… 1949年(昭和24年)3月31日

建築基準法、文化財保護法公布、人命、財産、文化的遺産を守る ……… 1950年(昭和25年)5月

東京消防庁、消防無線運用開始し迅速かつ効果的な消防活動へ-近年スマホによる緊急通報登場
 ……… 1950年(昭和25年)11月8日

昭和27年十勝沖地震、十勝地方の泥炭地に被害が集中 ……… 1952年(昭和27年)3月4日

明神礁噴火、海上保安庁職員殉職事故 ……… 1952年(昭和27年)9月23日

東京消防庁、火災予防対策委員会を設置 ……… 1955年(昭和30年)9月29日

海岸法公布、海岸を自然災害、人的破壊から護る防災法 ……… 1956年(昭和31年)5月12日

日本海難防止協会設立-海難防止から海洋汚染対策まで解決策を研究提言
……… 1958年(昭和33年)9月8日

消防法を改正、危険物行政を市町村条例から改め国の法制化し、全国的な基準で実施
 ……… 1959年(昭和34年)4月1日

消防審議会令施行され発足、消防・防災の重要事項を調査審議
……… 1959年(昭和34年)5月30日

国民安全の日を閣議了解、国民に安全への反省と自主努力を促す運動の日として創設
 ……… 1960年(昭和35年)5月6日

1960年チリ地震津波、1万7000km先で起きた巨大地震の大波が押し寄せた
……… 1960年(昭和35年)5月24日

防災の日を閣議了解、防災への意識強化が目的
  ……… 1960年(昭和35年)6月17日

積雪期の地震「昭和36年長岡地震」積雪が被害を増やした ……… 1961年(昭和36年)2月2日

東京消防庁、初の大震災被害想定を発表 ……… 1961年(昭和36年)7月31日

初の総合防災対策法「災害対策基本法」公布 ……… 1961年(昭和36年)11月15日

地震学会有志「ブループリント(地震予知 現状とその推進計画)」提言、
 地震予知計画国家的プロジェクトへ、
地震予知連絡会設置、地震学・測地学の基礎研究すすむ
 その反面短絡的な非難が
……… 1962年(昭和37年)2月

消防法が改正され救急業務が法制化 ……… 1963年(昭和38年)4月15日

中央防災会議、防災基本計画を初めて策定 ……… 1963年(昭和38年)6月14日

昭和39年新潟地震、液状化現象、重油タンクの火災などが注目を浴びる-地震保険の発想も
 ……… 1964年(昭和39年)6月16日

横浜市消防局、消防特別救助隊「横浜レンジャー」を発足 ……… 1964年(昭和39年)8月20日

政府、献血推進を閣議決定、アメリカ大使肝炎感染事件と無能な血液政策を批判する世論に押され
 ……… 1964年(昭和39年)8月21日

昭和40年8月、松代群発地震始まる ……… 1965年(昭和40年)8月3日

新潟地震を契機に、被災地選出蔵相・田中角栄の発想で、地震保険法成立公布
 ……… 1966年(昭和41年)5月18日

大阪市消防局、赤バイ「敏動隊」運用開始、10年後廃止されたが阪神・淡路大震災で復活
 ……… 1966年(昭和41年)12月1日

東京消防庁、全国に先駆け消防ヘリコプター1号機運用開始し航空消防始まる
……… 1967年(昭和42年)4月1日

1968年十勝沖地震、鉄筋コンクリート造公共建築物の損壊目立つ
……… 1968年(昭和43年)5月16日

東京消防庁、震災対策本部発足 ……… 1968年(昭和43年)9月1日

第一回全国消防操法大会開催、消防団員の技術の向上を図る ……… 1968年(昭和43年)10月15日

中央気象台(現・気象庁)の対連合国要請を皮切りに、地震予知連絡会発足する
 ……… 1969年(昭和44年)4月24日

東京消防庁が消防用ロボットの運用開始、170m先の危険地帯へ放水(泡)
……… 1971年(昭和46年)2月10日

東京都、全国初の震災予防条例制定 ……… 1971年(昭和46年)10月23日

第1回全国消防救助技術大会開催 ……… 1972年(昭和47年)9月28日

活動火山対策特別措置法制定、火山噴火予知連絡会も設置 ……… 1973年(昭和48年)7月24日

火山噴火予知連絡会発足 ……… 1974年(昭和49年)6月20日

横浜市消防局、起震車を開発し展示 ……… 1975年(昭和50年)6月14日

東大理学部石橋助手、東海地震説発表-大規模地震対策特別措置法制定へ
……… 1976年(昭和51年)8月23日

1978年宮城県沖地震-建築基準法改正され新耐震基準で“宮城沖前、後”
……… 1978年(昭和53年)6月12日

大規模地震対策特別措置法施行-大地震に対する画期的な地震防災対策定まる
 ……… 1978年(昭和53年)12月14日

予測される巨大地震に対する地震防災対策強化地域、初の指定 ……… 1979年(昭和54年)8月7日

初の対策強化地域指定の地震防災基本計画制定。
 その後、対策強化地域に指定されていなかった阪神と東北が

……… 1980年(昭和55年)3月6日

六都県市合同防災訓練始まる。以降、順次拡大し2010年から九都県市に
……… 1980年(昭和55年)9月1日

建築基準法施行令改正で新耐震基準(設計法)施行 ……… 1981年(昭和56年)6月1日

防災週間が閣議了解され、防災の日を含む1週間開催される ……… 1982年(昭和57年)5月11日

救急の日、救急医療週間始まる。救急活動の実績と体制整備を背景に
……… 1982年(昭和57年)9月9日

昭和58年(1983年)日本海中部地震 ……… 1983年(昭和58年)5月26日

国際消防救助隊、合同訓練行い実質的に発足 ……… 1986年(昭和61年)4月11日

消防法改正され、全国常備消防機関に人命救助専門の救助隊及び特別救助隊設置を法制化
 ……… 1986年(昭和61年)4月15日

伊豆大島三原山、昭和61年209年ぶりの割れ目噴火、1万人が全島避難
 ……… 1986年(昭和61年)11月21日~22日

国際緊急援助隊法制定-後に自衛隊参加で自己完結型組織の派遣も可能、感染症対策チームも新設
 ……… 1987年(昭和62年)9月16日

自治省消防庁、119番の日を制定-秋季全国火災予防運動起点の日となる
……… 1987年(昭和62年)11月9日

アジア防災センター(ADRC)、神戸市に開設 ……… 1988年(昭和63年)7月30日

十勝岳昭和63年噴火、国、道、町の一連の火山防災対策が成功し、住民の被災免れる
 ……… 1988年(昭和63年)12月16日~89年(平成元年)3月5日

救急救命士法公布-救急業務の発展へ ……… 1991年(平成3年)4月23日

平成3年(1991年)雲仙岳噴火、火砕流災害 ……… 1991年(平成3年)6月3日

世界初の早期地震検知警報システム“ユレダス”稼働、後継システム0.1秒後警報発信に成長
……… 1992年(平成4年)3月14日

道央自動車道史上最大多重衝突事故、ドクターヘリ高速道路上初の着陸、救急救命の新時代へ
 ……… 1992年(平成4年)3月17日

平成5年(1993年)釧路沖地震 ……… 1993年(平成5年)1月15日

平成5年北海道南西沖地震、奥尻島津波災害-防潮堤の建設は沿岸漁業に影響を与えたのか?
 ……
… 1993年(平成5年)7月12日

女子労働基準規則が改正され、警察職員に次いで女性消防職員の深夜業務認められる
 ……… 1994年(平成6年)3月11日

第1回国連防災世界会議、横浜市で開催-続いて神戸市、仙台市で同世界会議開催へ
 ……… 1994年(平成6年)5月23日~27日

東京消防庁、特殊救急車「スーパーアンビュランス」1号車導入配置
……… 1994年(平成6年)10月31日

平成7年兵庫県南部地震「阪神・淡路大震災」、現代の大都市を襲った激震
……… 1995年(平成7年)1月17日

警察庁、各都道府県警察に広域緊急援助隊創設-警察災害派遣隊へ拡充
……… 1995年(平成7年)6月1日

地震防災対策措置法公布、地震調査研究推進本部の設置
……… 1995年(平成7年)6月16日、7月18日

自治省消防庁、緊急消防援助隊創設-8年後法制化なる ……… 1995年(平成7年)6月30日

国の防災基本計画を全面改定、阪神・淡路大震災の教訓活かし ……… 1995年(平成7年)7月18日

建築物耐震改修促進法公布、阪神・淡路大震災の教訓を基に ……… 1995年(平成7年)10月27日

気象庁、震度計による観測に完全移行し震度階級を改定 ……… 1996年(平成8年)4月1日

東京消防庁ハイパーレスキュー隊誕生 ……… 1996年(平成8年)12月17日

船橋市消防局、海水等利用大規模消火システム完成し配備 ……… 1997年(平成9年)4月1日

防災基本計画、初めて事故災害対策各編を追加 ……… 1997年(平成9年)6月3日

東京消防庁、わが国初の高度救急処置対応ヘリコプター運用開始-次いでドクターヘリの時代へ
 ……… 1998年(平成10年)10月30日

国土庁(現・内閣府防災担当)地震被害想定支援ツール公開-地方自治体地域防災計画作成に活用、
 10年後には南海トラフ地震対応支援ツールも公開 ……… 1999年(平成11年)1月

北海道有珠山平成12年の噴火、学者と行政・住民の連携による事前避難準備で犠牲者ゼロ
 ……… 2000年(平成12年)3月29日~31日

海上保安庁、海の「もしも」は118番運用開始-99%が間違い電話だが、重要な番号に成長
 ……… 2000年(平成12年)5月1日

三宅島雄山平成12年噴火で4年5ヵ月に及ぶ全島避難 ……… 2000年(平成12年)9月2日~4日

片山知事提案し鳥取県議会が、全国初画期的な被災者向け住宅復興補助金制度を可決成立 
……… 2000年(平成12年)11月2日

総務省消防庁、緊急支援情報システム運用開始 ……… 2001年(平成13年)7月1日

鳥取県、被災者住宅再建支援制度創設 ……… 2001年(平成13年)7月6日

国連災害情報事務所リリーフウェブ神戸開所 ……… 2001年(平成13年)8月16日

平成16年新潟県中越地震、絶え間ない余震と避難中のエコノミー症候群発症
 ……… 2004年(平成16年)10月23日

平成17年福岡県西方沖地震、古いビルから窓ガラス落下し負傷者多数
……… 2005年(平成17年)3月20日

国交省、建築構造計算書に偽造ありと発表、震度5強で倒壊の恐れ「耐震強度偽造事件」
 ……… 2005年(平成17年)11月17日

平成19年(2007年)新潟県中越沖地震、柏崎市に集中的被害 ……… 2007年(平成19年)7月16日

国土交通省、緊急災害対策派遣隊(TEC-FORCE)発足 ……… 2008年(平成20年)5月9日

ニュージーランド・カンタベリー地震。日本人留学生28人死亡、史上最大規模の液状化現象
……… 2011年(平成23年)2月22日

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震「東日本大震災」
 ー津波・殉職・絆-貞観+昭和三陸地震津波の再来か ……… 2011年(平成23年)3月11日

東京電力福島第一発電所原子炉水素爆発。東北地方太平洋沖地震の津波による大事故。
 津波による事故の危険を把握しながら予測であるとし放置した東電、経産省原子力保安院の怠慢
……… 2011年(平成23年)3月13日

▼読者の皆様へ

 ここに掲載した大災害以外に、永く銘記すべき災害について掲載の提案がございましたら、下記へご一報ください。
 防災情報新聞社 担当者:編集委員・山田征男 Eメール:yama@88.catv-yokohama.ne.jp/FAX:045-391-7246

▼以下の「日本の災害・防災年表」各編に進む

気象災害(中世・江戸時代編)

気象災害(戦前・戦中編)

気象災害(戦後編)

広域汚染編

火災・戦災・爆発事故(中世編)

火災・戦災・爆発事故(江戸時代編)

火災・戦災・爆発事故(戦前・戦中編)

火災・戦災・爆発事故(戦後編)

感染症流行・飲食中毒・防疫・災害時医療編

人為事故・防犯・その他編

災異改元編 

▼以下の「周年災害 各年月編」に戻る

防災情報新聞:2018年9月の周年災害より以前

WEB防災情報新聞「周年災害」トップに戻る

(2023年4月・更新)

コメントを残す