東京電力福島第1原発事故の避難者らが国と東電に損害賠償を求めた4件の集団訴訟で、最高裁第2小法廷は去る6月17日、初めて国の責任を認めない判決を言い渡した。「現実の地震・津波は想定よりはるかに大規模で、防潮堤を設置させても事故は防げなかった」と判断したもので、裁判官4人のうち3人の多数意見。1人は国の責任を認める反対意見を述べた……

 茨城県ではマグニチュード(以下、M)5~6の地震は断続的に発生していますが、M7.0以上の地震は数十年間発生していません。政府の地震調査研究推進本部のホームページ(以下、HP)茨城県の地震活動の特徴によれば、同県に被害を及ぼすのは、海で発生する地震(関東地方東方沖合や相模湾から房総半島南東沖のプレート境界付近で発生する地震)と、陸で発生する地震で、特に県の南西部では地震活動が活発だとのことです……

 一般社団法人南三陸町観光協会は、東日本大震災及び”現在の南三陸町”についてリアルタイムで伝えるオンラインプログラム「ガイドと一緒に歩く南三陸オンラインスタディツアー」 を6月1日から提供開始している(有料)。
 同ツアーは、東日本大震災の経験を踏まえ、オンラインで学びの機会を提供するプログラム。東日本大震災を経験し学んだことや教訓、防災に関する知識などを伝えるとともに、現在の復興した町の様子を中継で見られるので、地域の自主防災組織の学びや企業研修、学校団体の震災学習などに役立てられる……


 特定非営利活動法人全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(以下略称:JVOAD、読み方:ジェイボアード。英語:Japan Voluntary Organizations Active in Disaster)は、「災害支援の文化を創造する」をスローガンに掲げ、災害時に支援の「もれ・むら」をなくすため、中間支援的な立場で現地の行政機関やNPO等をつなげる連携・コーディネーションを目的とした組織だ……

 茨城県は、北部が福島県、南部は利根川を境にして千葉県に接し、東は太平洋、西は栃木県と埼玉県に面しています。また、県内最高峰の八溝山(やみぞさん 1022m)から南下して筑波山に至る八溝山地や、宮城県から170㎞にも広がる阿武隈山地の山々、高笹山・花園山・和尚山が北側に連なっています。中央部からは関東平野の一部である常総台地が広がり、琵琶湖の次に大きい湖、霞ケ浦があります……

 ICHI COMMONS(イチコモンズ)株式会社は、セクターを超えたひと・お金・もの・情報の好循環を促し、社会課題の解決をめざすマッチングプラットフォーム『ICHI.SOCIAL』を提供している。
 そのICHI COMMONSが、東日本大震災以降、さまざまな社会課題の解決に取り組む東北の社会企業家・計32名を対象に、これまでの取組み内容と事業の効果について独自の観点から調査し、アンケートやインタビュー調査結果をまとめた初のレポート『東北の社会起業家インパクトレポート』を……


 近年は日本各地で観測史上1位を更新する大雨となることが珍しくありません。平成26年(2014年)7月30日から発生した「平成26年8月豪雨」は、台風11号と12号が次々と日本各地に接近・上陸し、加えて前線が日本付近に停滞したため広い範囲で猛烈な雨が降りました。8月1~5日にかけて四国の太平洋側では総降水量が8月の月降水量平年値の2~4倍の1000mm以上となり、8月7~11日には四国から東海地方で総降水量が500~1000mmとなりました……

 2011年東日本大震災発生当時の状況が西日本太平洋沿岸部で発生することを想定し、各地の府県・市町村社会福祉協議会組織が、平時からなにをどう備えるべきか、また発災後にどのように対処すべきなのかを検討する研修会や意見交換会が、国の「防災対策に資する南海トラフ地震調査研究プロジェクト」(文部科学省科学技術試験研究委託事業)の一環として試みられている……

 『フェーズフリー福祉防災 ~福祉なくして防災なし~』の第2弾として、「災害ケースマネジメント」(DCM:Disaster Case Management)に焦点を当てる。「災害ケースマネジメント」とは、被災者を個別支援して生活再建につなげる取組みであり、その推進にも多くの主体が関わることになる。広域大規模災害が想定されるわが国で、平時のいまこそ被災者支援制度を拡充させる機会であり、”フェーズフリー福祉防災”構築のキーワードになりそうだ……

 広島県は中国地方の中央に位置し、瀬戸内海沿岸部は年平均気温が15度前後と温暖な気候で年平均降水量は約1000mmなのに対し、山間地帯は10度前後と寒く、降水量は約2000mm以上と雨が多いのが特徴です。
 県の72%が林野面積となっており、山間部の地質は花崗岩・花崗班岩が主になっています。花崗岩は風化が進むと砂質土状の「まさ土」となり脆く崩れやすくなることで知られていますが、県内ではすでに「まさ土」となっている箇所も少なくありません……

 福井県では、昭和20年(1945年)7月12日に敦賀空襲があり敦賀市の約7割の4119戸が焼失し、さらに1週間後の19日の福井空襲では865トンの焼夷弾が落とされて市街地は8割以上も損壊し、2万戸以上が焼失する被害を受けました。福井城周囲約3kmは焼け野原になり、空襲の犠牲者は1576人、重軽傷者は6419人にのぼりました。悲しみの中、皆で力を合わせて復興に向けて頑張っていた3年後の昭和23年(1948年)6月28日、福井地震が発生します……