P1 東京日日新聞 市内付録 大正12年9月15日 4p 避難者氏名より - 関東大地震の揺れを<br>“読んで”追体験する

慄(おのの)き・戦慄(わなな)き
――大正関東地震に揺さぶられた当時の著名人の体験記から、
自然災害の不条理を追体験する。

P1 東京日日新聞 市内付録 大正12年9月15日 4p 避難者氏名より - 関東大地震の揺れを<br>“読んで”追体験する
大正12年9月15日付けの東京日日新聞 市内付録「避難者氏名」より(市政専門図書館資料より)。関東大震災は当時の東京市、横浜市に甚大な被害をもたらしたが、今日と同様、当然のことながら著名人も多く被災した。その体験記からは、地震が起こったその瞬間の、生身の人間としての「慄(おのの)き、戦慄(わなな)き」が伝わってくる。こうした100年前のリアリティを感じ取ることも、地震防災の出発点となるはずだ

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●起震車で揺れの酷(ひど)さは“疑似体験”できるが
 地震の不条理性の追体験なら、「体験記」を読もう
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P2 1 石井正己 著「文豪たちの関東大震災体験記」 表紙小学館101新書 - 関東大地震の揺れを<br>“読んで”追体験する
石井正己 (著)「文豪たちの関東大震災体験記」 表紙(小学館101新書)

 本年は関東大震災から100年の年で、発災日である9月1日周辺は言うに及ばず、1年を通じて防災啓発イベントが盛りだくさんだ。そこで本紙が今号で試みるのは、やや異色の切り口――発災当時の著名人(文人、知識人、有名人、政治家など)による記録に残る「揺れ体験記」の数例だ。

 現代、私たちは地震防災科学の成果で、起震車で関東大震災(大正関東地震)の揺れそのものを“疑似体験”できるのだが、当時の著名人による大震災の分析・評価・論考とはひと味異なり、地震という圧倒的な自然の不条理に遭遇した生身の人間の恐怖体験を取り上げようというものである。
 例えば、かの寺田寅彦の体験記を以下に記すが、さすが科学者、その身を揺すられながらも、観察センサーを巡らしていた様子だ。東京帝国大学理科大学教授の寺田寅彦は、上野で開催されていた二科会の招待展示会に出向き、喫茶店で知人と歓談中に関東大震災(大正関東地震)の揺れを体験する――

 「T君と喫茶店で紅茶を呑みながら話をしているときに急激な地震を感じた。椅子に腰かけている両足の蹠を下から木槌で急速に乱打するように感じた。多分その前に来たはずの弱い初期微動を気が付かずに直ちに主要動を感じたのだろうという気がして、それにしても妙に短週期の振動だと思っているうちにいよいよ本当の主要動が急激に襲って来た。同時に、これは自分の全く経験のない異常の大地震であると知った。その瞬間に子供の時から何度となく母上に聞かされていた土佐の安政地震の話がありあり想い出され、丁度船に乗ったように、ゆたりゆたり揺れるという形容が適切である事を感じた。仰向いて会場の建築の揺れ工合を注意して見ると四、五秒ほどと思われる長い週期でみし/\みし/\と音を立てながら緩やかに揺れていた。それを見たときこれならこの建物は大丈夫だということが直感されたので恐ろしいという感じはすぐになくなってしまった。そうして、この珍しい強震の振動の経過を出来るだけ精しく観察しようと思って骨を折っていた。主要動が始まってびっくりしてから数秒後に一時振動が衰え、この分では大した事もないと思う頃にもう一度急激な、最初にも増した烈しい波が来て、二度目にびっくりさせられたが、それからは次第に減衰して長週期の波ばかりになった。」(寺田寅彦、『震災日記』より)

P2 2 当時の東京市(15区) - 関東大地震の揺れを<br>“読んで”追体験する
当時の東京市(15区)

 いっぽう、かの芥川龍之介は、地震について「大震日録」に次のように書いている。「九月一日。午ごろ茶の間にパンと牛乳を喫し了り、将に茶を飲まんとすれば、忽ち大震の来るあり。母と共に屋外に出づ。妻は二階に眠れる多加志を救ひに去り、…妻と伯母と多加志を抱いて屋外に出づれば、更に又父と比呂志とのあらざるを知る。婢しづを、再び屋内に入り、倉皇比呂志を抱いて出づ。」

 しかし、芥川の妻はこのときの様子を次のように述べている。「主人は、地震だ、早く外へ出るようにと言いながら、門の方へ走り出しました。そして門の所で待機しているようです。私は、二階に二男多加志が寝ていたので、とっさに二階へかけ上がりまして、…子供をまず安全な所へ連れ出さねばと、一生懸命でやっと外へ逃れ出ました。部屋で長男を抱えて椅子にかけていた舅は、私と同じように長男をだいて外へ逃れ出てきました。私はその時主人に、赤ん坊が寝ているのを知っていて、自分ばかり先に逃げるとは、どんな考えですかとひどく怒りました。すると主人は、「人間最後になると自分のことしか考えないものだ」と、ひっそりと言いました。(龍之介妻・文(あや)の回想録『追想芥川龍之介(中野妙子筆録)』より)

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●「西郷さんの銅像の傍へ、やっと坐れるだけの席をとった。
 動物園のライオンや虎のうなり声が、ときどき大きくこだました」
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 女優・随筆家であった沢村貞子(1908〜1996)は自伝『貝のうた』で――「関東大震災は、私が女学校三年の二学期、始業式の日に起こった。学校から帰った私は、昼ご飯の仕度をしていた。 でき上がったご飯をお櫃にうつし、お豆腐のおつゆの味をみようと小皿を口にもって行ったとき、突然、ゴーッといううなり声とともに家がぐらぐらとゆれ、あわててガスの火を消した私は足がもつれて尻餅をついた。まわりじゅうの壁がバラ、バラと落ちて、鍋の中が白くにごった。わが家は、ひどくゆがんだだけでつぶれなかったが、ちょうど昼飯時だったせいもあって、あっという間に八方から火の手が上がった。みょうにシンとした異様な空気のなかに、激しい叫び声、泣き声が鋭く耳を破った。余震は絶え間なくつづいた…中略…上野の山へたどりついて、その夜をすごした。西郷さんの銅像の傍へ、やっと坐れるだけの席をとった。あたりはいっぱいの人だった。その人たちが、夜ふけとともにものを言わなくなった。無気味な静けさのなかで、動物園のライオンや虎のうなり声だけが、ときどき大きくこだました。上野の山から見おろす下町には、何十本もの真っ赤な太い火柱が、空を焦がすように傲然と立っていた。仮借なく人間たちを焼き殺す地獄の火がどうしてあんなに美しく見えたのだろうか。」

P2 3 靖国神社境内に設営されたバラック - 関東大地震の揺れを<br>“読んで”追体験する
靖国神社境内に設営されたバラック(Wikipediaより)

 ほかにも例をあげると、島崎藤村は千駄ヶ谷に住んでいた。震災の直前に妻と子供を北海道に送っていた。自宅は倒壊せず、火災も免れたが、周囲の惨状を目撃した。流言飛語や暴動に怯えながら、友人の家や旅館などを転々とした。川端康成は田端に住んでいた。震災の際には自宅で執筆中だった。家は倒壊しなかったが、火災が迫り、近所の人々とともに荷物を運んだ。その後、横光利一ら文士仲間と合流し、横浜や箱根などへ移動した。震災後には、随筆や小説などで震災体験を記録している。

P2 4 本所被服廠跡地の避難民を襲う火災旋風を描いた図(Wikipediaより) - 関東大地震の揺れを<br>“読んで”追体験する
本所被服廠跡地の避難民を襲う火災旋風を描いた図(Wikipediaより)

 さらにこうした経験記を調べる向きには下記リンクが参考になる。今回は関東大震災(大正関東地震)の揺れを“起震車”的に、揺れそのものの体験記を主として紹介したが、100年前も今日も、地震の揺れへの“おののき”に変わることはない、不条理なリアリティを感じ取ることにこそ、自然災害に対峙する原点があるのだ。

早稲田大学:石井正己「関東大震災100年―文豪たちの震災体験記」(8月講義)

成蹊大学図書館:関東大震災と文豪 関東大震災と文豪

思則有備:「関東大震災」に関連する防災格言内の記事

〈2023. 08. 02. by Bosai Plus

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