image 指定緊急避難場所(FineGraphics) 800x350 - 日本人の自然観から考える災害<br>――なぜ備えが必要なのか?

ある防災ビジネスパーソンの災害観――平井 雅也(ひらい まさや)氏

東日本大震災から11年、「災害の世紀」とも称される今世紀を生きる私たちは、災害にどのように向き合うべきか、どのように備えるべきか――防災にかかわる本紙読者(防災士)からご寄稿をいただきました。

平井雅也氏 プロフィール
株式会社セイエンタプライズ 代表取締役社長 防災士 NRサプリメントアドバイザー

 1991年に鐘紡入社、1995年に神戸市東灘区の社員寮で阪神淡路大震災を経験し、寮長として人命救助や避難所運営に携わる。翌年にセイエンタプライズに入社、2001年から現職。25年保存の美味しい備蓄食「サバイバルフーズの販売を通して災害時の安心を届ける。「よりより備え、よりよい暮らし」をコンセプトに自助を応援する防災のセレクトショップ「セイショップ」をはじめ、2021年からは「災害時に守られるべきは健康」との想いから、サバイバルフーズ・サプリメントを開発販売している。
セイエンタプライズ

 

●自然災害を「天災」ととらえてきた日本人

 私たちは、あらゆる自然に神様が宿っていると考えています。それは「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしかいじょうぶつ)」という言葉に表される仏教的な自然観で、もともとは「一切衆生、悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」というインド仏教の教えが日本の八百万の神信仰(アミニズム)と融合して生まれたものと考えられます。
 地震や洪水、雷に山火事は全て自然災害であり、自然=神様の行為なので、自然災害を天災と呼びます。
 天災は、神様が行うことですので避けられません。
 これに対抗する手段は3つあると考えられました。

1:神様に祈りを捧げる
2:運命だと諦める
3:被害を減らす方法を考える

 1 ですが、災害が起こらないように、神様にお願いをすることです。洪水が多い土地には、例えば禹(う)王の祠(中国神代の治水神)や十一面観音(水害の危険を告げると伝えられる)を祭った祠があると言います。また、鹿島神宮の要石(かなめいし)は、地竜の頭を抑えているらしいですし、厳島神社は、平家が海上交通の安全を祈って再建・氏神としました。さらには、現在にも続く相撲は神事です。四股を踏むのは力持ちの力士(益荒男)が、地面を踏みしめることで、地面の中にいる鬼を封じ込めているのです。相撲興業中には何度も四股が見られますし、土俵を力士が輪になって囲み、踊りのように見える四股の簡略式も毎場所中ずっと披露されます。私たちの国には、自然災害が多いため、それを鎮めるための祈りも日常の中にさりげなく溶け込んでいるのです。

 2 ですが、東日本大震災の後に訪れた南三陸町で、ご案内を頂いた地元の方が、(ご自身もお孫さんを亡くされていながら)津波の到達点を見ながら「天国と地獄だな」としみじみ仰っていたことが、とても印象に残っています。東日本大震災での津波被害は、水が届いたところまでは甚大ですが、水が来なかったところの地震の揺れに因る被害は軽微なモノでした。それは正に天国と地獄、では何がその線を分けたのでしょうか? 運命としか言いようがありません。

 阪神淡路大震災(1995年)では、建物や天井の梁などの下敷きになる圧死が多く見られました。一方で、助かった方たちのお話には、多くの割合で、たまたま本棚の間に挟まれてとか、トイレにいたから、丈夫な場所に偶然いたからなどの偶然が作用をしていました。少なくとも話をしているご本人は、偶然が助かった理由だと話されます。関東大震災(1923年)でも、人の下に居たために助かった話や、多くの人が避難していた被服廠跡地(約4万人が犠牲となった)に入れてもらえずに助かった家族の話など、「たまたま」という話がたくさんみられます。人智を超える運命が味方をしたのです。だからこそ、天災による偶然の死についても、諦められる訳です。

 納得は出来ないが諦められる。神様のしたことだから仕方がない、このような複雑な思考は、日本人ならではのモノだと思えます。関東大震災でも、阪神でも、東日本でも、海外のレポーターにとって、被災者である日本人は災害後に驚くほどに冷静であるという報告がされています。悲嘆にくれて過ごすよりも今すぐ出来ること、後片付けと復旧作業をすぐに始める被災者たちの姿が彼らには冷静に映るようです。

 3 は、人事を尽くして天命を待つ、との考え方です。(いつかは)必ず来る災害ですから、何もしないのではなく、出来る限りのことをして被害を減らせるようにすることです。運命で話した内容に似ていますね。これも私の想像ですが、中世の災害文学と言われる方丈記の著者・鴨長明は、このタイプの人だったのではないかと思っています。

●「災害もまた日常」――無常観と“減災”の気づき

 私たち(私たち日本人)は、災害の多い自然環境に暮らしてきたために、自然に従うことを憶えてきました。国土の60%以上が住環境となる穏やかな気候条件に恵まれたヨーロッパ諸国と比較して、日本では住環境をより快適に変えていくという発想が生まれにくかったのだと思われます。私たちの災害への対処方法の中に、災害そのものを無くすとか、自然をコントロールする(自然と対峙する)との考えは浮かんでこなかったのです。

 運命を変えられないのならば、必ず起こる災害に対してどのように被害を減らすか、つまり減災を考えることが有効となります。鴨長明が13世紀の初めに著した方丈記には、避けることのできない災害において、いかに被害を減らすのかとの智慧があるように私は感じています。五大災厄を経験した長明は、

いくかわのながれはたえずしてもとの水にあらず、
ながれにうかぶうたかたはかつ消えかつむすびて一つにとどまることなし、
人と住みかとまたかくのごとし。

 との感慨を持ちました。つまり、無常観です。
 無常観は、一種の諦観(あきらめの境地)と誤解されていますが、方丈記を最後まで読むと、鴨長明が世捨て人であるとは思えません。長明が人生を諦めているとしたら、何故悟りに向かう苦行での死を選ばないのか。彼は人生を諦めてはいないし、むしろ楽しんでいるように私には見えるのです。

 たとえば、下賀茂神社の宮司の家系に産まれた長明には建築の知識があったようです。神輿などに施される技術を活かして、方丈庵は組み立て式になっていました。災害が起こったら、庵をたたんで別の場所に移動して再度組み立てることを想定しています。歌の名手でもあったので、名人級であった琵琶にも工夫が凝らされています。なんと折りたたんで小さくできる琵琶を制作しました。情報収集にも熱心で、人が住めないような場所を居所とするのでなく、京都に近い日野の山中にいて時勢をうかがいます。時には京都から遠征して鎌倉殿(源実朝)にまで会いにいったりもします。山の四季を楽しみ、時々訪ねてくる童子と遊び、詩を読み曲を奏で、書き物をしました。長明の活発な様子が浮かんできます。

 ですから、方丈記に記されたような無常観は長明の気づきだったのだと思うのです。そして、この気づきを私は次のように表現したいと思います。
 世界の全てはつながっており、全ては巡っている。人生にはサイクルがあり、街にも、地球にもサイクルがある。 非日常は日常の延長線上にあり、日常と非日常は交互に訪れる。宮沢賢治は『春と修羅』で、人が生と死を日常的に交互に過ごしていることを感じていました。このように考える時、生も死も永遠なのです。そして、災害もまた日常の出来事なのです。

●災害と災害の間を生きているのだから、備える

 災害が日常の延長であるとの日本人の災害観についてまとめたところで、今度は備えるということについても考えてみたいと思います。
 あらためて災害が起こったら私たちはどうなるのかと考えるとき、災害と私たちの関係にもサイクルがあることが分かります。私はこれを“災害サイクル”と呼んでいるのですが、順番に説明しましょう。

【 災害サイクル 】

① 災害が起こると突然の出来事に驚き何が起こったのかが分からなくなります「失見当」と言う状態です。
② 意識を取り戻し、何が起こったのかを理解すると安否の確認や情報を集め、食事や住まいの心配など当面の暮らしのために奔走します。「サバイバル期」です。
③ 避難所などの住む場所が決まって落ち着くと、周りにも同じような体験をした人や家族がたくさんいます。大災害を生き延びたという何とも説明の出来ない安堵感と一体感、皆で協力してこの難局を乗り切ろうという力強さを体現した被災地ならではのルールが生まれます。究極の平等社会を災害後のユートピアとかブルーシートの世界などと表現することのある「被災地社会の成立」です。

P4 災害サイクル - 日本人の自然観から考える災害<br>――なぜ備えが必要なのか?
災害サイクル

④ この状態も長くは続かず、一緒に避難した周囲の家族に気をつかいながら、朝方にスーツに着替えて職場に向かう人びとがちらほら現れます。皆同じ被災者だったのが少しずつ社会に復帰する人たちが現れる「被災地社会の崩壊と復旧」ステージです。
⑤ こうして一年が過ぎるころにはインフラが復旧し、今度は十年をかけて「復興」を目指します。
⑥ こうしてつかの間の平穏の時が訪れて(日常)、現在に至ると次の災害の予兆がいたるところに現れます(予兆期)。

 このように日常から非常時へ、そしてまた日常が訪れる災害サイクルがあることが分かります。
 災害にサイクルがあると考えると、私たちは常に災害と災害の間に生きていると考えられないでしょうか?
 私たちは必ず災害にあう運命にあります、現在は日常の中にありますが、次の瞬間に非日常の中にあるかもしれません。だから私たちは常に備えていなければいけないのです。

〈2022. 03. 16. by Bosai Plus

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