p1 e6b4a5e6b3a2e8a898e686b6e79fb327e58fb7 e5b2a9e6898be79c8ce5a4a7e888b9e6b8a1e5b882 e59089e6b59ce59cb0e58cba 640x350 - 〈 災害多発時代の災害文化 〉「常在有事」――災害リスクへの嗅覚を磨く

上写真:津波の災禍・教訓を永く後世に伝える「全優石」(全国優良石材店の会)の「津波記憶石プロジェクト」から、岩手県大船渡市・吉浜地区に建てられた「津波記憶石 奇跡の集落 吉浜」(Designed by 髙橋正晴)。度重なる津波被害を経験した吉浜は東日本大震災では被害が軽微だった。先人たちが選択した究極の津波対策「高台移転」が功を奏したのだ。この地に確固たる災害文化を築いた村長・村人たちの記憶碑でもある

■津波記憶石の重みで知る 孤島変動帯・日本列島を生き延びる災害文化

●大船渡市・吉浜地区に建てられた「津波記憶石」に触発されて
――わが国では「常在戦場」ならぬ「常在災害」の心得を

「津波記憶石プロジェクト」という東日本大震災被災地支援プロジェクトがある。「津波記憶石」とは、津波石(津波によって岸に打ち上げられた大岩)+記憶からの造語で、世界や日本のデザイナー、彫刻家、また津波被災地の人たちが津波の痕跡をアートにして事実と教訓を石に刻み、後世に伝えていこうというもの。
同プロジェクトを推進する「全優石」(=全国優良石材店の会:全国の墓づくり石材業チェーン)は、東日本大震災以降、被災寺院墓所の復旧支援活動などのほかこれまで29号(基)の津波記憶石を被災各地に建てていて、復興庁は7年にわたるその継続的な支援活動への実績を高く評価、去る7月5日、吉野正芳復興大臣から全優石に感謝状が手渡されている。
>>全優石:津波記憶石プロジェクト

大船渡市・吉浜地区の津波記憶石(27号)には「奇跡の集落 吉浜」と刻まれている。吉浜地区は、東日本大震災でもっとも被害が少なかった地域として国内だけでなく米国はじめ世界各国からも注目された。その背景としては、1896(明治29)年の明治三陸地震津波(旧吉浜村の死者・行方不明者約210人)、1933(昭和8)年の昭和三陸地震(同・死者・行方不明者17名)を経験した初代村長・新沼武右衛門、8代村長・柏崎丑太郎の主導による村人の住家の高台への移転があった。

旧吉浜村はかつては「葦浜」と呼ばれたが「悪し浜」に通じることから「吉浜」に改名されたという。過去の被災経験、先人の教えを守り、津波被害を大幅に減らしてきた地域として、吉浜地区は今後の津波防災と復興のあり方に重要な教訓を示している。
>>津波記憶石:岩手県大船渡市・吉浜地区

津波や洪水では、水が届かなければ被害は皆無だ。津波や洪水被災地で道一本を隔てて、無傷地区と家屋流失・浸水地区が一望される様を目の当たりにして愕然とする――常在戦場(常に戦場にある心構えで事をなせという心得)ならぬ、常在災害――少なくとも低地では常に津波・洪水のリスクを心得よ、と。究極の津波対策として「高台移転」という“災害文化”があった。

●包括的な減災戦略、防災理念がなぜ議論の俎上に載らないのか

災害の多い国・日本でいま、災害そのものの様相が大きく変わりつつあるというのが最近の定説だ。すなわち、温暖化を背景とした風水害の極端現象(激甚)化、阪神・淡路大震災以降の内陸地震活動の活発化、東日本大震災を引き金とする日本列島地殻構造の変動などによる巨大海溝型地震や火山噴火発生のおそれが唱えられ、「災害の世紀」への警鐘が鳴らされている。

自民党総裁選挙が9月に予定され、西日本豪雨災害を契機に「防災省」創設の課題が争点のひとつとして再浮上する可能性がささやかれている。その是非はともかく、大きな災害が起きるたびにわが国の災害対策のあり方が議論されることは悪いことではない。わが国の防災はどうあるべきか、その考え方、戦略、理念は……いまの対策、備え、防災教育でいいのか。議論を通じて、日本国民の防災意識を高めることなる……はずだが。
しかし、わが国では、南海トラフ巨大地震の被害想定で死者32万超とされ、直近の土木学会の経済被害推計で、近い将来起こり得る地震・洪水・高潮の巨大災害で「最貧国化」が懸念されるとされてもなお、為政者・国民は“ピンと来ない”ように見受けられるのはなぜか。

10年ほど前に米国で始まり、今日ではわが国でも多くの自治体が導入している地震防災訓練「シェイクアウト」(ShakeOut)に毎年全世界で5800万人が参加すると言われているが、2008年に初めて南カリフォルニア州主催で行われた際の「シェイクアウト」参加者総数がなんといきなり530万人にものぼり、一挙に米国史上(世界史上?)最大の非軍事・防災特化訓練となった。ちなみに当時、わが国最大の防災啓発イベントである「防災週間」(8月30日~9月5日)と「防災の日」(9月1日)における全国の防災訓練参加者数は、188万9千人(2008年度実績)だった。

米国での初「シェイクアウト」で530万人動員が可能となった背景として、USGS(米国地質研究所)が南カリフォルニアでのM7.5以上の大地震発生確率を今後30年間で46%(高い!)としたこと、訓練シナリオの前提条件である被害想定・死者数1800人(甚大!)のインパクトに加え、ロサンゼルス付近で直前に発生したM5.4の地震(被害なし)が誘因として挙げられた。そしてこの地震が、1994年に57人の死者を出したノースリッジ地震(M6.7)を思い起こさせ、住民の危機感を高めたとされる。ノースリッジ地震は、阪神・淡路大震災発災のちょうど1年前の1月17日、ロサンゼルス郊外で発生した。

人のいのちの重さに彼我の違いがあろうはずはない。しかし、その受け止め方は大きく異なったとは言えないだろうか。わが国の地震による人的被害が万に及ぶ被害想定について、あるいは自然災害で奪われるいのちのひとつひとつについて、私たちは、”驚き・衝撃”を忘れてはいないだろうか。この被害想定の死者数を減らすための包括的な災害軽減戦略は、本当に、日本にはあるのだろうか。

●災害対策・防災行政に欠けているのは『被災者ファースト』意識?

米国では、1979年3月に発生したスリーマイル島原発事故での事故対応時の混乱を契機に、それまでの防災関係省庁を統合する形で連邦危機管理庁(FEMA)が誕生した。FEMA創設からほぼ40年、FEMAはトライ&エラーで常に先取的な改革を続けていて、そうした試行錯誤の履歴も含めて、世界各国の同様の組織の手本になっているという。
有数の地震国でかつ台風や異常気象による水害に毎年見舞われる日本では、災害対策関連法制の改定は常に、災害(想定外)が起こるたびに“ほころびを繕うように”行われるが、包括的な国の災害対応・復興戦略がないと指摘されつつ、日本版FEMAの創設については先送りが続いている。

いっぽう、例えば近年わが国でお手本にしつつある防災・危機管理・被災者支援の手法に、「ICS」(Incident Command System=災害現場・事件現場などにおける標準化された管理システム。命令系統や管理手法の標準化)や、「タイムライン」(防災行動計画)、あるいは「スフィア基準」(災害被災者・紛争難民支援の「人道憲章と人道対応に関する最低基準」)などがある。いずれも米国や国際的な人道支援活動を行う各種機関発の災害・危機管理対応の考え方だが、残念ながらわが国の発想ではない。

わが国の発想に欠けているものはなにか。それはスフィア基準にある「災害や紛争などの被災者すべてに対する人道支援活動を行う各種機関や個人が、被災当事者であるという意識をもって現場で守るべき最低基準」の、『被災当事者であるという意識』ではないのか。
わが国の災害対応、被災者支援に、果たして被災当事者意識、つまりは『被災者ファースト』の大原則・理念は確立されているだろうか。また、ひるがえって、いつでも被災者になり得る潜在被災者としての国民・住民の側に、当事者意識はあるだろうか。

●「巨大噴火で原発が破壊された場合の危険性」から原発反対?……

地球科学者でメディア登場の機会も多い巽(たつみ)好幸・神戸大学海洋底探査センター教授が、昨年(2017年)12月13日、広島高等裁判所が愛媛県の伊方原子力発電所3号機について「阿蘇山で巨大噴火が起きて原発に影響が出る可能性が小さいとは言えず、新しい規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断は不合理」だと運転停止を命じる仮処分の決定をしたことについて、ネット上に所感を書いている。その視点がユニークで、“目からうろこ”の感があるので読者と共有したい。
>>巽好幸:伊方原発3号機の運転停止の仮処分: 司法判断の意味とマグマ学者からの懸念

巽氏はこのなかで、「テレビで放映された映像を見ていると、原告団は「歴史的判決」と意気揚々である。ヒロシマという悲劇の地に暮らす人々の原発への思いは十分に理解できるものがある。一方で、火山の息遣いやマグマの動きに注目するマグマ学者としては、この高揚感に一抹の懸念がある」とする。そのわけは――

「私の危惧は、感情的原発反対論者の多くが、巨大噴火で原発が破壊された場合の危険性のみに注目していることである。冷静に考えていただきたい。巨大カルデラ噴火が一度起きて原発が火砕流で被害を受けるような場合には、その領域に暮らす人々の日常生活はすでに高温の火砕流によって破壊されているだろう」というのだ。「巨大カルデラ噴火の危険性を根拠に原発再稼働に反対すること自体は正当であると思うが、それ以前に(少なくとも同時に)巨大カルデラ噴火そのものの試練に対する覚悟を持つべきであろう。もちろん、覚悟は諦念ではない。いかにこの火山大国で暮らしていくかを考えることこそ覚悟である」――

巽氏が主導する神戸大学海洋底探査センターの研究グループは2014年10月に、「日本列島で今後100年間に巨大カルデラ噴火が起こる確率は約1%」との研究結果を発表している。100年間で1%という確率は、兵庫県南部地震 (阪神・淡路大震災) 発生前日における30年間発生確率と同程度であり、「いつこのような巨大噴火が起こっても不思議ではなく」、最悪の場合、「巨大カルデラ噴火によって1億2000万人の”生活不能者”を予想」との解説もなされ、発表当時話題を呼んだ。
巽氏は「そのリスクを正しく認識することは、火山大国に暮らす私たち日本人にとって大変重要なこと」としている。
>>防災情報新聞 2016年10月9日付け:〈神戸大学〉リスク認識を問う 超巨大噴火予測」、本格スタート

ちなみに直近の動きとして、原子力規制委員会の専門部会は去る8月10日、原発周辺の火山に巨大噴火の兆候があった場合に、運転停止や核燃料の取りだしに踏み切る基準案を初めて示した。
>>第4回 原子炉安全専門審査会原子炉火山部会会合

「災害文化」とは一般的には「災害についての知識や伝承、あるいはそれに対応する方法や技術的産物の文化」をいう。ただ、これまで社会(あるいは個人)が経験していない災害事象(想定外)の発生は当然起こり得るものであり、防災技術的な部分も私たちがつくりあげる社会の進展とともに変化する。
しかし、おそらく変わらないのは、私たちがよって立つこの日本の大地、日本列島が周囲を海に囲まれ、地震と火山が集中する「変動帯」だということだ。この“島”で生活を営む私たち人間にとっては、自然の恵みを享受しながらも、常に「常在有事」の覚悟をもって動物的に災害リスクへの嗅覚を磨くことが、“災害の世紀”の「災害文化」となるのではないか。

〈2018. 08. 31. by Bosai Plus〉〈2018. 11. 02 再掲〉

コメントを残す