流言被害から目をそむけることは再発を招きかねない
最悪の災害教訓の“修正”もまた、わが国の災害史に銘記される…
本紙1月4日付け「《関東大震災100年 特別構成 1 》災害周年に甦る災害教訓」の冒頭にある「関東大震災映像デジタルアーカイブ」公式HP内の「コラム:沼田 清氏(写真編集者)」によると――
沼田氏は2012年秋、東京都慰霊協会が、翌年の関東大震災90周年に向けて付属の復興記念館の展示をリニューアルすることを決め、写真の監修を任された。
その作業のなかで、「背景を火煙に描き替え、説明を38,000人が死亡した本所の被服廠跡と偽った捏造絵葉書があることに気づいた。
これを契機に調べたら、震災写真には、混乱時に起きた不注意による写真の裏焼や取り違えだけでなく、意図的な改ざんと捏造が少なくないことが判明」したとしている。
本所の被服廠跡と偽った捏造絵葉書とは実は、宮城前に避難した群衆だった。後世に残すべき関東大震災のリアル(記録)が“なにものか”への忖度により改ざんされ得るというリアルに驚く。災害記録・記憶・教訓はなんのため、だれのためのものか……
東京都慰霊協会と言えば、同協会が実行委員会を務めて催行する関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式典(墨田区・横網町公園)が、1974年以降、9月1日に行われていて、これに歴代東京都知事が追悼文を送っていた。
しかし、小池百合子都知事が就任して2年目の2017年から追悼文を送らないとの決定をし、昨年(2022年)も式典に追悼文を送らなかった。その理由は明言されず、「虐殺の犠牲者に対する特別な追悼をやめる」としている。
報道によれば、小池知事は17年の記者会見で、虐殺の有無への認識を問われ、「様々な見方があると捉えている」と回答。「歴史家がひもとくものだ」とも述べた。
しかし虐殺については、国の中央防災会議がまとめた報告書で明らかに説明されている。
専門調査会報告書は「(関東大震災での)余震は恐怖心をあおり、流言飛語を生み出す原因になる」と分析し、さらに、「報告書の目的は歴史的事実の究明ではなく、防災上の教訓の継承」であるとし、「自然災害がこれほどの規模で人為的な殺傷行為を誘発した例は日本の災害史上、他に確認できず、大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある」としている。
●「関東大震災から100年」の2023年9月1日、都知事・都防災部の見解が改めて問われる
最近の報道(朝日新聞2022年10月29日付け)では、東京都の人権施策担当の職員が、都の外郭団体主催の企画展で、関東大震災後の朝鮮人虐殺を事実として述べた場面がある映像作品を上映することに「懸念がある」としたメールを送っていたとあった。作品内に関東大震災後の朝鮮人虐殺を事実としたインタビューがあることを挙げ、「都ではこの歴史認識について言及をしていない」と記載。小池知事が追悼文を出していないことにふれ、「都知事の立場にも関わらず、朝鮮人虐殺を『事実』と発言する動画を使用する事に懸念がある」としていたという。都は、メールのこれらの部分について「必要のない表現だった」などと釈明したが、同作品は結局、都が中止を決めたという。
小池都知事は、昨年の式典まで6年連続で追悼文の送付を見送っている。その理由を問われて、虐殺の史実には「様々な見方がある」「歴史家がひもとくもの」などと述べ、すべての震災犠牲者をひとくくりにして哀悼の意を表するとしてきた。そうした歴史的事実の誤認がまさに「忖度」を産み、「流言飛語」という“怪物”が蔓延・席巻していくのではないか。
小池氏は政治家であり、その主義主張は政治的に受け止められることを熟知しているはずだ。歴史修正主義なる言葉があり、その意味は、「客観的な歴史学の成果によって確定した事実を全体として無視し、自分のイデオロギーで過去の出来事を都合よく解釈したり、誇張や捏造された〈事実〉を歴史として主張すること」とある。
東京都の防災部署がこれまで、震災対策に先進的に多大な貢献をしてきたことは広く認めるところだ。しかし、小池都知事は関東大震災100年の今年の9月1日も頑なに追悼文送付を見送るのだろうか。そうだとすれば、災害教訓の歴史修正主義者として小池氏自身が永く災害史に刻まれることを覚悟してのことだろう。しかしそれは、東京都の防災への志に汚名を記すものとはならないか。
災害教訓継承専門調査会(内閣府(防災担当))は「関東大震災100年」を機に、「災害流言」の事実関係について小池氏の認識を改めて質してほしい。また、都の防災担当部署・担当職員には、”新・首都直下地震”被害想定・災害対策において、そして防災=人権への志において、”忖度抜き”で、流言被害をどう考えるのか――問いたい。
〈2023. 01. 06. by Bosai Plus〉