浅間山火山天明の噴火絵図より

浅間山天明噴火・泥流被害と、
水没地域の豊かな遺跡群の展示

紆余曲折を経た八ッ場(やんば)ダム運用開始から1年――
「やんば天明泥流ミュージアム」の体感

●八ッ場ダム運用開始から1年を期して、ミュージアムオープン

 八ッ場(やんば)ダムが運用を始めてから去る4月1日で1年。これに合わせるように、その水没地域の発掘調査の成果と、1783(天明3)年の浅間山大噴火で起こった「天明泥流」で埋もれた村落の出土品を展示する博物館「やんば天明泥流ミュージアム」(群馬県吾妻郡長野原町 林)が、4月3日オープンした。

P4 1 やんば天明泥流ミュージアムとその周辺(同ミュージアムHPより) - 「やんば天明泥流ミュージアム」<br>オープン
やんば天明泥流ミュージアムとその周辺(同ミュージアムHPより)

 八ッ場ダム建設工事にともなう利根川・荒川水源地域対策基金の約18.6億円を資金に、長野原町がミュージアム建設を計画。1994年から2019年までの26年間、公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団や町教育委員会によって大規模な発掘調査が行われた。吾妻川沿いを中心とした約100万㎡にも及ぶ調査区からは、縄文から江戸時代までの遺跡が折り重なるように見つかり、とくに江戸時代の1783(天明3)年、浅間山の大噴火により発生した「天明泥流」に埋没した村落が広範囲に発見された。

 このことから「やんば天明泥流ミュージアム」の展示は、浅間山から約30km離れた八ツ場ダムの水没地区周辺の縄文時代草創期(約1万2000年前)から江戸時代後期までの各時代の遺跡群「東宮遺跡」、「西宮遺跡」、「石川原遺跡」などの住居跡や生活用具などの展示と、「浅間山噴火・天明泥流」被害の展示が中心となっている。
 展示からは、漆塗りの食器や各地の陶器、お茶が入ったままの茶釜、きせるなど約500件が展示され、当時の豊かな暮らしぶりや災害の様子を伝え、当時の村々の景観や人びとの暮らしをいまによみがえらせ、また天明泥流被害のすさまじさを体感できる。

P4 2 浅間山火山天明の噴火絵図より - 「やんば天明泥流ミュージアム」<br>オープン
内閣府「災害史に学ぶ~火山編」より「浅間山夜分大焼之図」(美斎津洋夫氏所蔵)。浅間山の天明噴火で火山学的にみて異常な噴火現象「鎌原火砕流/岩屑なだれ」が起き、そのメカニズムの解明についてはまだ定説はないという
P4 3 北方上空から見る浅間山火山の山腹斜面 - 「やんば天明泥流ミュージアム」<br>オープン
内閣府「災害史に学ぶ~火山編」より、北方上空から見る浅間山火山の山腹斜面(使用権フリーフォトライブラリー「空撮・日本の火山」八戸ファームウェアシステム株式会社CDより)

 中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書」(2006年3月)は、1783年「天明浅間山噴火」を取り上げている。浅間山は天明の噴火以降も今日まで中~小規模噴火を何百回も繰り返しているが、天明のような大規模噴火はない。
 天明の噴火は5月19日に始まり、8月に入って噴火の激しさが増し、中山道の宿場町であった軽井沢集落では火山灰の重みで82軒がつぶれ52軒が焼失し全滅、火山灰の厚さは40cmにのぼった。

 3カ月にわたる噴火は鎌原火砕流、岩屑なだれと天明泥流を発生させ、死者1624名(遺体は現在の東京湾や千葉県銚子市付近まで流れ着いたという)をはじめ、村落・農耕地の破壊・荒廃、火砕流による森林の破壊、吾妻川・利根川流域の泥流・洪水破壊、百姓一揆の発生など、浅間山北麓から利根川流域を中心とする関東平野に多様かつ甚大な被害・影響をもたらしたとされている。

>>やんば天明泥流ミュージアム

〈2021. 05. 04. by Bosai Plus

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