【前書き】

「日本の災害・防災年表」は、「周年災害」でご紹介した日本人が被災した災害や特異な災害、または政策・法令を変えた災害及び防災対策などを、次の7種・12表の災害分類にまとめています。

地震・津波・火山噴火編

気象災害(中世・江戸時代編)

気象災害(戦前・戦中編)

気象災害(戦後編)

・広域汚染編

火災・戦災・爆発事故(中世編)

火災・戦災・爆発事故(江戸時代編)

火災・戦災・爆発事故(戦前・戦中編)

火災・戦災・爆発事故(戦後編)

感染症流行・飲食中毒・防疫・災害時医療編

人為事故・防犯・その他編

災異改元編 

 掲載基準は、原則として死亡者+行方不明者100人以上(海外での日本人死亡者10人以上)、死傷者、感染患者1000人以上、全壊・焼失・流失家屋(住家)1000棟(軒)または1000世帯(かまど、戸)以上、床上浸水家屋(住家)5000棟(軒)または5000世帯(かまど、戸)以上などの大災害を選び出して掲載。
 1. 災害・防災年表各編内の災害・防災対策をクリックすると掲載月の記事にリンク全文が読めます。
  2.本文中の年月日は太陽暦(グレゴリオ暦)かっこ内年月日は太陰暦=その時代の年号と暦日です。
   なお、太陽暦の使用開始は1872年(明治5年)12月3日からで、この日が明治6年1月1日です。
 3. 年号の適用は、明治改元の時に定められた「改元の年の1月1日にさかのぼり適用する」ことは   せず、改元の前日までは前年の元号です。
 4.災害名は混在しないよう通称または気象庁及び中央防災会議での公認名称のない場合は、火山噴火と火災の場合を除き、原則として元号(年)+被災地+災害名です。
 5.災害名は、表現の統一及び類似のものと年表上差別化が必要なため、年表上とリンク先の掲載当時の見出しの名称とが若干異なることがあります。

■「広域汚染編」

 当年表は2005年4月~2021年、2022年3月の「周年災害」及び「周年災害・追補版」の掲載記事より作成されています。
 災害名等にポインターを当てクリックすると掲載ページ(各月)にリンクし、全文が読めます。
 

○古代から江戸時代まで(~1867年)

東大寺大仏鍍金作業開始、水銀中毒発生 ……… 752年4月6日(天平勝宝4年3月14日)

秀吉、大坂城及び城下の街づくり、現在も活きる背割下水(太閤下水)建設に着手
 ……… 1583年10月16日(天正11年9月1日)

幕府、江戸に辻番所を設置 ……… 1629年5月(寛永6年3月)

江戸町奉行、将軍日光社参に際し、道路、下水整備に関するお触れ出す
世界一清潔な街並みへの第一歩 ……… 1648年4月20日(慶安元年2月28日)

江戸町奉行、近世世界初の塵芥投棄場所指定-ごみ処理システムへ第一歩
 ……… 1655年12月22日(明暦元年11月25日)

江戸町奉行、公儀指定請負制によるゴミ取り船(塵芥収集運搬船)の収集日決める
 ……… 1662年8月11日(寛文2年6月27日)

大芥溜設置で江戸のゴミ処理システム整う、但し各町内の費用負担増える
 ……… 1665年6月29日(寛文5年5月16日)

幕府、辻番規定を改定し衛生管理も職務に-明治時代の防疫活動へ継承か
 ……… 1683年3月27日(天和3年2月29日)

江戸町奉行、塵芥回収業者に水路の浚渫と永代島付近の埋立を許可、
町民に協力方厳命し土地造成進む-現代まで引き継がれた大事業
……… 1696年4月30日(元禄9年3月29日)

荒谷忠兵衛、鉱山労働者の珪肺(けいはい)症の症状、原因を科学的に把握し記録
 ……… 1826年11月(文政9年10月)

○明治時代から太平洋戦争終戦まで(1868年~1945年)

アヘン戦争を契機としたアヘン禁止政策、明治新政府はアヘン販売首謀者斬首の刑を布告
……… 1870年9月4日(明治3年8月9日)

東京府、西洋のポリス制度を参考に邏卒(らそつ:警察官)制度採用、取締所(警察署)設置
……… 1872年1月3日(明治4年11月23日)

政府、窮民一時救助規則制定、拡充される被災者救助制度
……… 1872年1月7日(明治4年11月27日)

司法省、違式詿違(かいい)条例で事故防止などはかる
……… 1872年12月13日(明治5年11月13日)

警視庁、電信を初めて架設し緊急連絡に活用 ……… 1874年(明治7年)8月7日

医制発布され近代的医事衛生制度発足、初の法定伝染病(感染症)の指定と届出、予防法の公的指示
 ……… 1874年(明治7年)8月18日

大阪府、全国初の都市公害取締法令「鋼折・鍛冶・湯屋三業取締規則」を布達
 ……… 1877年(明治10年)5月23日

内務省警視局に消防本部創設され公設(常備)消防組織誕生-70年の歴史を経て自治体消防へ転換
 ……… 1880年(明治13年)6月1日

東京、一般市街地での近代的下水道の先駆け「神田下水」工事着手。
 コレラ予防を目指したが便所のくみ取りはそのままで、その上補助金打ち切りで中止
 ……… 1884年(明治17年)12月

政府、赤十字条約に調印、博愛社は社名を日本赤十字社に改称し国際赤十字へ加盟
 ……… 1886年(明治19年)6月5日

警視庁、消防体制強化の一環で消防署間電話を初めて設置 ……… 1887年(明治20年)12月12日

田中正造、足尾鉱毒問題で政府に初の質問書提出し議会でも追及
……… 1891年(明治24年)12月17日、25日

警視庁、警察署と消防署へ非常報知機設置し通信機能整備 ……… 1891年(明治24年)12月28日

別子銅山惣開(そうびらき)製錬所煙害問題起きる ……… 1893年(明治26年)9月

大阪府、製造場(工場)取締規則制定し公害規制、しかし日清戦争の好況で空文と化す
 ……… 1896年(明治29年)2月1日

明治29年梅雨前線豪雨「信濃川横田切れ、東日本大水害」足尾鉱毒土砂流れ稲に被害
 -田中正造反対運動の組織化に着手 ……… 1896年(明治29年)7月20日~23日

足尾鉱毒被害民、大会を開き鉱業停止運動始まる ……… 1896年(明治29年)8月

明治29年9月秋雨前線+台風、淀川、木曽川、利根川水系氾らん、足尾鉱毒関東一円に拡大
 ……… 1896年(明治29年)9月3日~16日

足尾鉱毒被害民、両岸被害村一致の大集会開き鉱業停止請願運動始まる
……… 1896年(明治29年)11月29日

足尾銅山鉱毒被害者、初の大挙押し出し(集団請願行動)敢行 ……… 1897年(明治30年)3月3日

明治32年8月台風。別子銅山山津波で潰滅、鉱毒水の流出で広範囲汚染も
……… 1899年(明治32年)8月28日

川俣事件、足尾銅山鉱毒被害民が警官隊と衝突、田中正造政府を追求
 ……… 1900年(明治33年)2月13日、15日、17日

公衆衛生の基本法、汚物掃除法、下水道法ようやく公布、成立が遅れた背景に経済的な問題
 ……… 1900年(明治33年)3月7日

小坂鉱山煙害問題で北秋田郡会意見書採択-煙害反対運動激化し賠償金支払うも煙害収まらず
 ……… 1905年(明治38年)2月27日

日立鉱山煙害問題発生-巨大煙突、高層気象観測の実施、被害者側と情報を共有化し問題解決へ
 ……… 1907年(明治40年)3月

足尾鉱毒拡散防止遊水池建設で谷中村住居強制破壊。
政府、鉱毒問題を治水問題にすり替え解決図る
……… 1907年(明治40年)6月29日~7月5日

別子銅山四阪島煙害事件 ……… 1908年(明治41年)8月25日)

鈴木製薬所“味の素”製造により逗子で初の公害、その後も多摩川汚染問題起こす
……… 1908年(明治41年)12月

浅野セメント降灰事件。住民側、青年団を結成し工場撤廃要求、最終回答で拒否される
ー6年後、電気集塵装置の導入で工場撤廃要求を撤回させ、移転先にした川崎工場も完成
……… 1911年(明治44年)3月13日

特設消防署規定公布、4大都市に次いで戦時下の最重要都市に官設常備消防を設置
……… 1919年(大正8年)7月16日

警視庁消防部、携帯用消防電話を開発設置し、現場の消防隊から直接に応援出場要請可能に
-消防無線に受け継がれた発想 ……… 1919年(大正8年)12月4日

大阪アルカリ株式会社事件。大審院による最初の公害事件判例、
企業側に有利な判断その後踏襲される。
ただし差戻裁判で差戻理由を逆手に取り原告側勝利
……… 1919年(大正8年)12月27日

陪審法成立。大正デモクラシー下、民意の司法への反映を期待
……… 1923年(大正12年)4月18日

東京帝大セツルメント、関東大震災の救援活動の中から誕生 ……… 1924年(大正13年)6月10日

警視庁消防部、電話自動交換システム導入で世界初、火災通報専用番号採用、
但し誤接続発生
-119番採用へ ……… 1926年(大正15年)1月20日

東京で消防緊急通報ナンバー“119番”誕生、横浜市でも同年に誕生
……… 1927年(昭和2年)10月1日

東京市衛生試験所、初の空気の衛生展覧会開く。東京の大気汚染指摘、生活環境改善打ち出す
……… 1929年(昭和4年)11月18日~22日

麻薬取締規則公布、麻薬の製造、輸出入、販売などを管理 ……… 1930(昭和5年)5月19日

大阪府、府令で国内初のばい煙防止規則公布 ……… 1932年(昭和7年)6月3日

神奈川県警察部、横浜市に消防機関初の救急自動車配置 ……… 1933年(昭和8年)3月13日

東京で深川じん芥処理場ばい煙問題起こる ……… 1933年(昭和8年)5月4日

警視庁消防部、民間の寄付を得てようやく救急業務開始、救急要請電話番号も119番、
 交通事故、工場災害の急増に対応 ……… 1936年(昭和11年)1月20日

保健所法公布、軍部の健兵健民政策を乗りこえ国民の衛生向上と健康増進を目指す
 ……… 1937年(昭和12年)4月5日

大牟田爆発赤痢事件、疑惑の化学工場爆発事故、塚本メモ市政のぬれ衣晴らす
 ……… 1937年(昭和12年)9月25日

厚生省、軍部の強い提唱で内務省から分離独立 ……… 1938年(昭和13年)1月11日

国策パルプ工場排水による汚染、川の色が濃い茶色になり、まずウナギが犠牲に
……… 1940年(昭和15年)8月

浜名湖アサリ貝中毒事件、新居町民は呉羽紡績排水に疑惑を抱くも学界は無視、いまだ原因不明
……… 1942年(昭和17年)3月8日~4月9日

広島、長崎両市に原子爆弾投下され全市壊滅 ……… 1945年(昭和20年)8月6日、9日

○太平洋戦争終戦から10年前まで(1945年~)

消防団令公布、警防団を廃止し消防団を復活-消防団のおかれた現状、東日本大震災で
 ……… 1947年(昭和22年)5月1日

災害救助法制定、救助活動の全般的規定設ける ……… 1947年(昭和22年)10月16日

消防組織法施行され自治体消防発足「消防記念日」 ……… 1948年(昭和23年)3月7日

海上保安庁発足-初の庁旗掲揚の日を“海上保安の日”に ……… 1948年(昭和23年)5月1日

消防法公布、消防が火災予防に強力な権限と任務もつ、取締予防主義から脱皮
 ……… 1948年(昭和23年)7月24日

・八大都市の警察で警察通報用電話(110番)スタート、ただし最初は番号がバラバラ
 ……… 1948年(昭和23年)10月1日

東京消防庁、通信指令室設置、緊急通報受付と出動指令を本署で一本化
……… 1949年(昭和24年)3月31日

警視庁、青少年のヒロポン中毒取締り開始-「覚醒剤取締法」施行後1980年代にふたたび増加
 常習者の一般化と暴力団の関与 ……… 1949年(昭和24年)10月18日

覚せい剤取締法公布・施行 ……… 1951年(所和26年)6月1日

第五福竜丸、ビキニ環礁被爆事件 ……… 1954年(昭和29年)3月1日

横浜市でヒロポン密造工場摘発、この年違反件数・検挙者最多
……… 1954年(昭和29年)3月30日

俊鶻(しゅんこつ)丸、ビキニ水爆実験場へ放射性降下物調査-放射能汚染調査研究の基礎確立
 ……… 1954年(昭和29年)5月15日

第1回全国労働衛生大会開催、全国労働衛生管理協議会発足-全国労働衛生協会創立へ
 ……… 1954年(昭和29年)10月14日~15日

警視庁、御徒町マーケットをヒロポン密造の疑いで手入れ、都青少年問題協議会の動きと対応
 ……… 1954年(昭和29年)11月9日

雪印乳業脱脂粉乳中毒事件 ……… 1955年(昭和30年)3月1日~3日

けい肺等特別保護法成立、日経連の強硬な反対を押して可決-4年半後「じん肺法」へ改正。
 歴史的な足尾町鉱山復興町民大会を基盤に ……… 1955年(昭和30年)7月29日

第1回原水爆禁止世界大会開かれる、第五福龍丸の被曝が契機 ……… 1955年(昭和30年)8月6日

森永ヒ素ミルク中毒事件-被害者の恒久的救済に合意 ……… 1955年(昭和30年)8月24日

東京消防庁、火災予防対策委員会を設置 ……… 1955年(昭和30年)9月29日

衆、参両院で原水爆禁止要望決議案可決、与野党共同提案実る
……… 1956年(昭和31年)2月9日、10日

水俣病公式確認-原因は新日窒水俣工場の工場排水とわかる、会社側損害賠償に応ぜず
 ……… 1956年(昭和31年)5月1日

ペニシリンショック死事件、野放しな使われ方に問題が ……… 1956年(昭和31年)5月15日

日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)結成、
原水爆実験反対運動の高まりの中で
念願の被爆者援護法勝ち取る
……… 1956年(昭和31年)8月10日

原爆医療法公布、50万人被爆生存者が11年半待ち望んだ最初の援護法
……… 1957年(昭和32年)3月31日

本州製紙江戸川工場汚水放流事件-最初の本格的水質汚染防止2法制定へ
……… 1958年(昭和33年)6月10日

原水爆禁止1000km平和行進初めてスタート、全国的に平和への行動掘り起こす
 ……… 1958年(昭和36年)6月20日

日本海難防止協会設立-海難防止から海洋汚染対策まで解決策を研究提言
……… 1958年(昭和33年)9月8日

熊本大学研究班、水俣病原因物質は有機水銀と発表 ……… 1959年(昭和34年)7月22日

水俣病に抗議する地元漁師、新日窒の誠意のない態度に怒りが爆発し水俣工場に乱入
 ……… 1959年(昭和34年)11月2日

四日市ぜんそくで住民が市役所に陳情、顧みられず7年後、公害訴訟始まる
……… 1960年(昭和35年)4月

国民安全の日を閣議了解、国民に安全への反省と自主努力を促す運動の日として創設
 ……… 1960年(昭和35年)5月6日

防災の日を閣議了解、防災への意識強化が目的 ……… 1960年(昭和35年)6月17日

イタイイタイ病はカドミウムが原因と発表 ……… 1961年(昭和36年)6月24日

鎌倉海岸で電気クラゲ大量発生 ……… 1961年(昭和36年)7月25日

ソ連の大型核爆発実験で記録的放射線量を検出 ……… 1961年(昭和36年)11月5日

初の総合防災対策法・災害対策基本法公布 ……… 1961年(昭和36年)11月15日

サリドマイド薬害事件、大日本製薬出荷停止 ……… 1962年(昭和37年)5月17日

消防法が改正され救急業務が法制化 ……… 1963年(昭和38年)4月15日

中央防災会議、防災基本計画を初めて策定 ……… 1963年(昭和38年)6月14日

横浜市消防局、消防特別救助隊「横浜レンジャー」を発足 ……… 1964年(昭和39年)8月20日

アンプル入り風邪薬事件、厚生省同薬剤の製造禁止 ……… 1965年(昭和40年)5月11日

ヘイムバード室蘭港桟橋衝突事件、水先人の過失により原油流出港内火災、27日間燃え続ける
 ……… 1965年(昭和40年)5月23日~6月18日

新潟水俣病、患者発生の原因を発表-昭和電工頑強に否定するも敗訴
……… 1965年(昭和40年)6月12日

東京夢の島でハエ大量発生「東京ゴミ戦争」、現代の地域エゴは?
……… 1965年(昭和40年)6月29日

湘南の海に廃油漂着、海水浴客油まみれ ……… 1965年(昭和40年)7月16日~18日

北九州市戸畑区婦人会協議会、公害の実態を収めた自主制作映画完成試写行う 
-マス・メディアの注目を浴び、市の取り組みを促し、劇的な改善につながる
……… 1965年(昭和40年)10月19日

湘南、京浜、都内一帯に悪臭拡散、原因は産業廃棄物の海上投棄
……… 1966年(昭和41年)5月6日~7日

主婦連、自分たちの日用品試験室でユリア樹脂製食器から有害物質検出
……… 1966年(昭和41年)8月17日

自動車による大気汚染の時代を迎え、新車の排煙規制具体化 ……… 1966年(昭和41年)8月

政府、被爆21年余にして初の原爆被爆者実態調査の結果発表 ……… 1967年(昭和42年)2月4日

東京消防庁、全国に先駆け消防ヘリコプター1号機運用開始し航空消防始まる
……… 1967年(昭和42年)4月1日

厚生省研究特別研究班、阿賀野川流域有機水銀中毒(新潟水俣病)の汚染源は
昭和電工鹿瀬工場の排水と結論 ……… 1967年(昭和42年)4月7日

海水油濁防止法公布、3年後海洋汚染防止法と改正 ……… 1967年(昭和42年)8月1日

公害対策基本法公布、93年11月環境基本法に発展的に改正 ……… 1967年(昭和42年)8月3日

鉛中毒予防規則公布、公害問題への世論の高まりの中で制定 ……… 1967年(昭和42年)9月30日

佐藤首相、施政方針演説で非核三原則堅持言明、ノーベル平和賞受賞も裏でアメリカと密約
 密約を明らかにした毎日新聞記者らが秘密漏洩で有罪判決-民主党政権で明らかにしたが、
 特定秘密保護法で米軍の日本での核配備は再び闇に ……… 1968年(昭和43年)1月30日

イタイイタイ病で、国が初めて産業公害の企業責任認める ……… 1968年(昭和43年)5月8日

霧島丸と貨物船の衝突事故で貨物船の燃料油、三浦、房総半島沿岸に漂着、沿岸部海洋汚染問題に
 ……… 1968年(昭和43年)6月7日

大気汚染防止法制定、明治時代大阪から始まった都市型大気汚染
……… 1968年(昭和43年)6月10日

政府統一見解で水俣病を公害病に認定-昭和電工頑強に否定するも敗訴
……… 1968年(昭和43年)9月26日

カネミ油症事件、食用油摂取によるPCB-ダイオキシン体内汚染
-50年経った今、被害実態は不明のまま、被害に気づき多くの人の名乗りに期待が
……… 1968年(昭和43年)10月16日

自動車や工場の排煙から排出される亜硫酸ガス(二酸化硫黄)公害対策基本法による環境基準第1号 ……… 1969年(昭和44年)2月12日

気象庁、東京に史上初の濃煙霧(スモッグ)注意報。国の環境基準シリ目の大気汚染
 ……… 1969年(昭和44年)2月13日

厚生省、初のカドミウム汚染調査結果を発表―公害関係法案として結実
……… 1969年(昭和44年)3月27日

初の公害被害者全国大会開催、加害企業、政府に徹底した被害者対策、公害防止対策を要求

……… 1969年(昭和44年)11月26日

残留BHC牛乳汚染問題で生産中止、国、府県の調査で残留汚染明確に
……… 1969年(昭和44年)12月10日

公害病救済特別措置法を制定、緊急に救済を必要する被害に対し行政上の救済措置行う
……… 1969年(昭和44年)12月15日

海上保安庁四日市海上保安部、工場排水垂れ流し容疑で
石原産業四日市工場立ち入り捜査し刑事告発。
同保安部田尻課長、数々の大企業の違法行為を捜索、退職後公害Gメンとして一生捧ぐ ……… 1969年(昭和44年)12月17日

公害問題国際シンポジウム東京宣言発表、基本的人権“環境権”打ち出す。
 のち“人間環境宣言”へと高められ、核兵器の完全な破棄を宣言
  ……… 1970年(昭和45年)3月12日

東京牛込柳町で自動車排ガスによる鉛害問題表面化-5年後ようやくガソリン無鉛化へ
 ……… 1970年(昭和45年)5月21日

東京で光化学スモッグ発生。吐き気、目に強い刺激、喉の痛みなど症状でる
……… 1970年(昭和45年)7月18日

田子の浦ヘドロ公害事件-漁民たちの海上デモなど大抗議集会のすえ「水質汚濁防止法」成立
……… 1970年(昭和45年)8月9日

スモン病の原因報告を受けキノホルム販売中止。一時感染症説横行し患者疎外される
……… 1970年(昭和45年)9月7日

コラルジル薬害が明らかになり販売中止に ……… 1970年(昭和45年)11月20日

公害国会で論議、公害関係14法案成立 ……… 1970年(昭和45年)12月18日

フッ素による斑状歯(歯牙フッ素症)問題起こる ……… 1971年(昭和46年)5月

イタイイタイ病訴訟、公害訴訟で初の住民側勝利 ……… 1971年(昭和46年)6月30日

環境庁発足 ……… 1971年(昭和46年)7月1日

クロロキン薬害網膜症事件明らかになる ……… 1971年(昭和46年)10月14日

教研集会で土呂久砒素(とろくひそ)鉱毒を告発 ……… 1971年(昭和46年)11月13日

我が国海域で初の大規模油流出災害「ジュリアナ海難」 ……… 1971年(昭和46年)11月30日

シンナー遊び、補導青少年5万人に迫る ……… 1971年(昭和46年)12月

PCB(ポリ塩化ビフェニール)生産・使用中止、廃棄物処理進まず32年後専門会社設立
……… 1972年(昭和47年)3月21日

安中公害訴訟、鉱毒事件35年の歴史に決着か ……… 1972年(昭和47年)4月1日

第1回全国消防救助技術大会開催 ……… 1972年(昭和47年)9月28日

特定化学物質等障害予防規則制定 ……… 1972年(昭和47年)9月30日

水産庁、PCB汚染魚介類について発表-鮮魚商、水産物公害一掃総決起大会開く
 ……… 1973年(昭和48年)6月4日

朝日新聞、幼児大腿四頭筋短縮症患者について報道-高橋講師らの活動で社会問題化し解決へ
 ……… 1973年(昭和48年)10月5日

化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律(化学審査規制法:化審法)、公布
 ……… 1973年(昭和48年)10月16日

総理府、自然環境保全基本方針告示、公害防止から根源的な自然環境保全へ
……… 1973年(昭和48年)11月6日

環境庁告示第1号、自動車排出ガス量の許容限度 ……… 1974年(昭和49年)1月21日

国立公害研究所発足-16年後、時代の要請に応え国立環境研究所へと発展
……… 1974年(昭和49年)3月15日

名古屋新幹線騒音公害訴訟起きる-和解後も履行状況監視 ……… 1974年(昭和49年)3月30日

関東各地に酸性雨降る、目に刺激2日間で4000人も ……… 1974年(昭和49年)7月3日~4日

三菱石油水島精油所、タンク破損重油流出事故-石油コンビナート等災害防止法成立へ
 ……… 1974年(昭和49年)12月18日

タンカー祥和丸座礁し海洋汚染起こす ……… 1975年(昭和50年)1月6日

千葉川鉄大気汚染公害訴訟提訴、大気汚染と公害患者の病気との法的因果関係認められる
 ……… 1975年(昭和50年)5月26日

昭和50年、東京、埼玉に光化学スモッグ襲い、3800人余倒れる
……… 1975年(昭和50年)7月15日

東京江東区で六価クロム汚染明らかになる ……… 1975年(昭和50年)7月17日

反原発全国集会初めて京都で開催-その後新原発の建設中止続々と
……… 1975年(昭和50年)8月24日

石油コンビナート等災害防止法公布 ……… 1975年(昭和50年)12月17日

川崎市、全国初の環境影響評価に関する条例制定、市民の支持を得て国より21年も早く
 ……… 1976年(昭和51年)10月1日

嫌煙権確立をめざす人びとの会発足-受動喫煙防止活動は進み「健康増進法」成立、火災も減少
 ……… 1978年(昭和53年)2月18日

もらい公害の街、大阪西淀川公害訴訟提訴、はじめて都市型複合汚染が裁判に
 ……… 1978年(昭和53年)4月20日

東電福島第一原発3号機事故、わが国初の臨界事故起こし運転日誌も改ざん
 ……… 1978年(昭和53年)11月2日

六都県市合同防災訓練始まる。以降、順次拡大し2010年から九都県市に
……… 1980年(昭和55年)9月1日

敦賀原発放射能漏れ事故隠し問題 ……… 1981年(昭和56年)4月18日

ダニロン事件、初めて発覚した薬データの不正 ……… 1981年(昭和56年)10月10日

沖縄で米軍機夜間飛行差し止め訴訟起きる、嘉手納基地の軍事的重要性が原因
……… 1982年(昭和57年)2月26日

川崎大気汚染公害訴訟、解決まで17年もの歳月が流れる ……… 1982年(昭和57年)3月18日

防災週間が閣議了解され、防災の日を含む1週間開催へ ……… 1982年(昭和57年)5月11日

救急の日、救急医療週間始まる。救急活動の実績と体制整備を背景に
……… 1982年(昭和57年)9月9日

朝日新聞、エイズの疑いのある血友病患者の死亡報道 ……… 1983年(昭和58年)7月12日

薬害エイズ事件、血友病患者の薬剤感染認定 ……… 1985年(昭和60年)5月30日

国際消防救助隊、合同訓練行い実質的に発足 ……… 1986年(昭和61年)4月11日

消防法改正され、全国常備消防機関に人命救助専門の救助隊及び特別救助隊設置を法制化
 ……… 1986年(昭和61年)4月15日

最初の異性間接触でのエイズ患者認定-薬害エイズ事件も明らかに
 -近年のHIV感染者年間1000人台で高止まり傾向 ……… 1987年(昭和62年)1月17日

フィブリノゲンによるC型肝炎集団感染事件「薬害肝炎事件」
……… 1987年(昭和62年)4月18日

厚生省、麻薬・覚せい剤乱用防止センター設立「ダメ。ゼッタイ。」キャンペーン始まる
 ……… 1987年(昭和62年)6月1日

国際緊急援助隊(JDR)法制定-後に自衛隊参加で自己完結型組織の派遣も可能に、
感染症対策チームも新設 ……… 1987年(昭和62年)9月16日

中電浜岡原発1号機、再循環ポンプ停止し、原子炉が一時制御不能に、その後も続く事故の数々
 ……… 1988年(昭和63年)2月1日

自動車運搬船麗神5458台を積載し座礁-環境汚染との国際的批判かわすべく
 海深2000mの海溝付近まで曳航され積載車とともに自沈 ……… 1988年(昭和63年)4月14日

尼崎大気汚染公害訴訟提訴、全国初の汚染物質排出差し止め判決
……… 1988年(昭和63年)12月26日

東京電力福島第2原子力発電所3号炉、再循環ポンプ大破損事故、運転を強行再開し非難浴びる
 ……… 1989年(平成元年)1月1日

名古屋南部大気汚染公害訴訟-26年後、原告団環境改善への成果かち取る
……… 1989年(平成元年)3月31日

新三種混合(MMR)ワクチン導入-接種禍事件起きる ……… 1989年(平成元年)4月1日

史上最悪豊島(てしま)産廃事件、豊島開発が廃棄物処理法違反容疑で兵庫県警の強制捜査受ける
……… 1990年(平成2年)11月16日

美浜原子力発電所2号機事故。単純ミスが引き起こした初の非常用炉心冷却装置作動

……… 1991年(平成3年)2月9日

救急救命士法公布-救急業務の発展へ ……… 1991年(平成3年)4月23日

道央自動車道玉突き衝突事故、医師を乗せたヘリが事故現場へ初の着陸
……… 1992年(平成4年)3月17日

ソリブジン事件、製薬会社、厚生省の指示無視 ……… 1993年(平成5年)9月19日

環境基本法公布・施行、全国的、全地球的環境問題に対応 ……… 1993年(平成5年)11月19日

女子労働基準規則が改正され、警察職員に次いで女性消防職員の深夜業務認められる
 ……… 1994年(平成6年)3月11日

第1回国連防災世界会議、横浜市で開催-続いて神戸市、仙台市で同世界会議開催へ
 ……… 1994年(平成6年)5月23日~27日

松本サリン事件、えん罪・報道被害事件-地下鉄サリン事件後明らかに
……… 1994年(平成6年)6月27日

東京消防庁、特殊救急車「スーパーアンビュランス」1号車導入配置
……… 1994年(平成6年)10月31日

原子爆弾被爆者援護法制定-遅かった国による被爆者補償制度の制定、未だ問題となっている軍人、
 国家公務員と一般民間人との戦争被害補償での差別 ……… 1994年(平成6年)12月16日

地下鉄サリン事件、オウム真理教による大量無差別殺人テロ、
ポア、マインドコントロールが流行語に ……… 1995年(平成7年)3月20日

警察庁、各都道府県警察に広域緊急援助隊創設-警察災害派遣隊へ拡充
……… 1995年(平成7年)6月1日

自治省消防庁、緊急消防援助隊創設-8年後法制化なる ……… 1995年(平成7年)6月30日

国の防災基本計画全面改定、阪神・淡路大震災の教訓活かし ……… 1995年(平成7年)7月18日

高速増殖原型炉もんじゅナトリウム漏えい事故-20年経っても再開のめど経たず、廃炉か?
 ……… 1995年(平成7年)12月8日

東京消防庁ハイパーレスキュー部隊誕生 ……… 1996年(平成8年)12月17日

ナホトカ号日本海重油流出事件-国の防災基本計画に事故災害対策編追加改定
 ……… 1997年(平成9年)1月2日~2月25日

動燃東海事業所、使用済み核燃料アスファルト固化処理施設爆発事故、
教訓を汲もうとしない原発推進派 ……… 1997年(平成9年)3月11日

薬害ヤコブ事件。厚生省ヒト乾燥硬膜製品を使用停止アメリカの同様な措置に遅れること10年
患者は増え続けた ……… 1997年(平成9年)3月28日

防災基本計画、初めて事故災害対策編を追加 ……… 1997年(平成9年)6月3日

横浜港沖、ダイヤモンドグレース浅瀬に接触し原油流出 ……… 1997年(平成9年)7月2日

京都でCOP3開催、京都議定書採択、温室効果ガス排出量の多い先進国の削減目標決定
 -COP21パリ協定とアメリカ、中国における温暖化対策
 ……… 1997年(平成9年)12月3日~15日

ポケモンショック事件-注意テロップ始まる ……… 1997年(平成9年)12月16日

東京消防庁、わが国初の高度救急処置対応ヘヘコプター運用開始-次いでドクターヘリの時代へ
 ……… 1998年(平成10年)10月30日

地球温暖化対策の推進に関する法律公布-推進大綱で具体的に進め
地震による原発停止の事態も各界の自主的な節電対策で乗り切る
……… 1998年(平成10年)10月9日

北陸電力志賀原子力発電所、臨海事故隠し事件。安全性神話の崩壊をおそれ逆に不信感増大
 ……… 1999年(平成11年)6月18日

東海村JCO臨界事故会社の安全教育不備、作業マニュアルの安易な変更が
レベル4の大事故起こす
-しかし東海村消防本部の適切な情報収集による正確な判断被災拡大防ぐ ……… 1999年(平成11年)9月30日

原子力災害対策特別措置法施行される、JCO臨界事故を受け原子力事業者の防災責務盛る
 -防災基本計画も全面修正へ ……… 1999年(平成11年)12月17日

海上保安庁、海の“もしも”は118番運用開始 ……… 2000年(平成12年)5月1日

雪印低脂肪乳集団中毒事件。工場の停電で黄色ブドウ球菌発生、加熱殺菌を信じ加工・販売
 ……… 2000年(平成12年)6月25日~8月1日

総務省消防庁、緊急支援情報システム運用開始 ……… 2001年(平成13年)7月1日

国連災害情報事務所リリーフウェブ神戸開所 ……… 2001年(平成13年)8月16日

浜岡原子力発電所、連続2件の放射能漏出事故 ……… 2001年(平成13年)11月7日、9日

レジオネラ症集団感染事件、市営日向サンパーク温泉で
……… 2002年(平成14年)7月1日~30日

東京都千代田区で生活環境条例(路上喫煙禁止条例)施行 ……… 2002年(平成14年)10月1日

富山県入善町、朝日町漁業関係者、関西電力相手に黒部川連携排砂ダム被害訴訟起こす
 ……… 2002年(平成14年)12月4日

リウマチ治療薬「メトトレキサー」の副作用で130余人死亡とわかる-服用ガイドブックを発行
 ……… 2005年(平成17年)2月12日

アスベスト被害による死亡明らかになる-アスベスト製品の全面禁止へ、しかし危険はこれから
 ……… 2005年(平成17年)6月29日

多剤耐性菌帝京大学病院で集団感染、国への報告も遅れる。抗生剤乱用の結果危険な細菌が横行
  ……… 2010年(平成22年)9月4日

東京電力福島第一発電所原子炉水素爆発。東北地方太平洋沖地震の津波による大事故。
 津波による事故の危険を把握しながら予測であるとして放置した東電と経産省原子力保安院の怠慢
 ……… 2011年(平成23年)3月12日

▼読者の皆様へ

 ここに掲載した大災害以外に、永く銘記すべき災害について掲載の提案がございましたら、下記へご一報ください。
 防災情報新聞社 担当者:編集委員・山田征男 Eメール:yama@88.catv-yokohama.ne.jp/FAX:045-391-7246

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気象災害(中世・江戸時代編)

気象災害(戦前・戦中編)

気象災害(戦後編)

広域汚染編

火災・戦災・爆発事故(中世編)

火災・戦災・爆発事故(江戸時代編)

火災・戦災・爆発事故(戦前・戦中編)

火災・戦災・爆発事故(戦後編)

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人為事故・防犯・その他編

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(2023年4月・更新)


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